去年の4月に私は50歳の誕生日を迎えました。
半世紀生きたんですよ!
スゴイ





色んなことがありました
大きな病気や事故などにみまわれることなくここまできたことに感謝です
自分は守られて生かされているんだってよく感じます

それは、亡くなった父であったり、母や私の友人達の私への思いが私を守ってくれているといつも思っています

そんな50歳の記念に私はそれまでやろうかどうかずっと迷ってたことを思い切って実行に移しました

ずっといれたかった
Tattoo
を去年、遂にいれました


ステキなtattoo artist にも巡り合え、私がイメージしていたものよりもステキな作品をいれることができました
それ以来「金魚と桜の花」が私の脚を飾っています
ナゼ「金魚と桜の花」かというと.....
私がまだ7、8歳の頃ウチで金魚買ってたんです。その頃の我が家は明るく楽しい家庭でした。両親と3人でその金魚の世話をしたのはとても楽しい思い出です
「桜の花」は、4月生まれの私に両親は「桜かおる4月に生まれた」という意味を込めて私に「薫」という名前をくれたんです
成人してからの私は「家族は重い」「家族関係ほどややこしいものはない」と両親と精神的距離を置くようになってました
酒好きの父と、父を毎日のように責めまくる母。もう、ウンザリでした

そして私の前提のとおりに「ややこしい家族関係」が私の現実に現れ続けました
そして、父亡き後の母と私の病み切った10年間の生活
「家族」というものに対する私の思いは言葉に出来ないほど複雑なものでした
でもね、tattoo を入れるならば私の家族の思いが込められた「桜と金魚」しかありえないって思ってたんです


父が56歳で亡くなって、その10年後に私はオーストラリアに新天地を求めて今に至りますが、ここ2年くらいですかね~、生前、父が必死に私達家族の関係を修復しようと努力してたんだってことにようやく気づいたんです
父もそうとう苦しんでたんです。
母との関係をどう修復すればいいのか誰にも聞けず1人で戦っていたんだと今になって気づきました。
いつも明るくて優しかった父
カラオケやフル マラソンが大好きでした
お酒大好きでした
酒量は多かったですがアル中や酒乱ではなかったです
私が小さい頃はよく遊んでくれました
きっと父は自分の好きな「お酒を飲む」ことを母から毎日のように厳しく責められ辛かったんですね



大勢でワイワイ飲むことが好きだった父に対して母は人付き合いをまったく好まないタイプ
だから母は父が外で飲んで遅く帰宅することに寂しさを募らせたんだと思います
私はその頃は独りよがりでしたから、そんな両親の心の奥底を推し量ることはできませんでした
でも、今は「父と母は愛し合っていたんだ」って思えます
ただ2人はどうやって関係修復すればいいのかわからなかったんですね

私、父が亡くなっていなかったらオーストラリアには来てない気がするんです
父が自分の身を呈して母と私を幸せにしてくれたとしか思えないんです
そんな偉大な父の血を受け継ぐ私は自分を誇りに思っています
私は何があっても大丈夫なんです
私の右足には私の家族への思いが刻まれてます
