「ウスクダラ」
歌:江利チエミ
1954年8月、雪村いづみの「帰らざる河」のB面に「ウシュカ・ダラ」としてこの曲が収録された。この歌唱は、井田誠一の「訳詞」にる日本語のみの歌唱であるが、内容はトルコ語の原義からは離れている。
同年8月、江利チエミは「ウスクダラ」として、アーサー・キットと同様にトルコ語の歌唱や、語りの部分を組み込んだ構成をとる音羽たかしの詞により、この曲をシングルA面としてリリースした。江利盤は、日本では本家のアーサー・キット盤をしのぐヒットになった。また、1954年の『第5回NHK紅白歌合戦』では、江利によって本楽曲が歌唱された。
最愛の夫 高倉健さんと・・・
1982年(昭和57年)2月13日午後、チエミが港区高輪の自宅マンションの高輪ヒルズの寝室で、上半身がベッドからはみ出た状態で吐いて倒れているのをマネージャーに発見され、既に呼吸・心音とも反応がなく死亡が確認された。45歳没。死因は、脳卒中と吐物が気管に詰まっての窒息(誤嚥)によるものだった。チエミの死は、数日前から風邪を引き体調が悪かったところにウイスキーの牛乳割りを呷り、加えて暖房をつけたまま風邪薬を飲んで寝入ったことが一因とも言われている。その前日は、一昨日に行われた熊本での和服商社主催のイベントを終え帰京したばかりで、チエミが亡くなった当日の夜には、北海道の帯広市にてステージの予定が入っていた。
あまりにも突然過ぎる死に、チエミの親友だった「三人娘」のひばりといづみ、他にも清川虹子や中村メイコらもショックを隠しきれずに号泣し、チエミの葬儀の席でも深い悲しみに暮れていた。同じく親友の杉も死の前年9月、杉が主演したドラマ『大江戸桜吹雪、八千両の舞』(日本テレビ)にチエミがゲスト出演していたことから、驚きを隠せなかったという。チエミの柩が玄関を出た2月16日は、奇しくも最期まで愛し続けていた高倉との結婚の際、花嫁衣装を着て実家の玄関を出たのと同じ日だった。その高倉もチエミの葬儀に姿を現さなかったものの、葬式当日に本名の「小田剛一」で供花を贈り、また会場の前で車を停めて手を合わせていたという[注釈 5]。それから数週間後の3月3日、仕事関係者らによるチエミの音楽葬が行われた。






