今回は長文になります。
半年ほど前、軽くトラウマになるくらい、ショックな出来事がありました。
今思えば神さまからのギフトだったとしか思えない、大きな気づきをいただきました。
ときどき集まって、女子会をしていたんですが
その女子会メンバーの一人から(そんなに親しくはない人です)、
ある日突然電話があり、いきなりどなりつけられました。
内容としては、だいたい要約すると
「あんたは自分のことしか考えてない、自己中人間だ。
自分のことのまえに、みんなのことを考えて行動するのが、ほんとうじゃないのか、etc。。。」
そして、「誰もこんなこと言わないだろうから、あなたのためを思って言ってやってるんだ」と。
わかってます。基本スペックは自己中です。(笑)
自覚がありますので、そこは反論はしません。
でも、あなたのため、とかみんなのことを考えろという彼女から
愛や思いやりの気持ちは感じられなくて
強烈な怒りと、わたしへの非難と、
「攻撃」されている感覚しかなくて、
いきなり背後から棒で殴られたようなショックでした。
前々から、自分の気に入らない人や物事に対して、
度をこして攻撃的な態度をとるなぁと 思ってはいましたが、
まさか仲間内までも攻撃してくるとは思ってなかったので
予想してなかったこの展開に
怒りとか反論とかのまえに
何がおこったのかわからなくて、呆然としながら
とにかく落ち着け、自分。
この人が何を言いたいのか、理解しよう。
とりあえずだまって言い分を聞いて
自分のどういう行動に腹が立ったのか、具体的な内容を確認して、
電話を切りました。
電話を切った後、じわじわと腹が立ち、いろんないろんなものがうずまきました。
そのたびに、リリースやクリーニングをして、
一時は軽くなるけど、またすぐ感情や思考がうずまいて、と
心は重く乱れて、鬱っぽくもなりました。
この問題は、けんか別れするのでも、妥協するのでもなく、
指摘された行動を改善すればいい、というだけでもなく、
なにが本当におこっているのか、きちんとむかいあわなければ、
このショックをずっとかかえたままになる。
そう思って、夜寝る前のセルフピーリングも、そのことをずっとテーマにして
1ヶ月ほど毎日続けました。
そしてある日のセルフピーリング中。
気づきは突然やってきました。
本当は何がおこっていたのか。
正直いって、いきなりどなりつけられて理不尽だという怒りと、
同じようにやり返したい気持ち、
わたしは被害者だという意識が、ありました。
わたしは、悪くない。
なぜそこまで言われなきゃならないの。
そういうMさんのほうが、よっぽど自己中じゃないか。
でも、すべてはわたし でした。
ほんとうに、すべては わたし でした。
それは、わたしがわるい、という意味ではなく
一見無関係にみえる、数え切れないほどの「記憶」が
積み重なって編み込まれた土台があって、
そして、わたしと彼女が抱える同じ傷み、
それを解放する機会を、無意識で示し合わせて
まさにあの日あの時、
今しかない、という絶妙なタイミングで表面化させる。
「起こるべくして起こったこと」 でした。
氷山の一角として、あの出来事がおこったけれど、
その原因の「記憶」は、
全く関係なさそうにみえるものも、絡まりあって、重なり合って
神の采配とでもいうべき、絶妙なタイミングで
完璧な形で、わたしのまえにやってきた。
それが理屈ぬきの直観で、わかってしまったら
被害者面は、もうできませんでした。
傷ついたとか 傷つけられたとかじゃなくて、
役回りが決まっているお芝居をいっしょにしている同胞、とでもいうか。
対等でした。
今回の演目は、自分への激しい憤怒。
彼女も、私も、ほんとうは自分を許せなくて、愛せなくて、
すごく責め続けている。
でもそんなの見たくないから、
自分を正当化して、正論で身を守って、
見たくない部分を見せる人を攻撃・批判する。
その奥で、痛いとぼろぼろ泣いて、自分を傷つけているこころがみえて、
その痛々しさが哀しくて
自然と4つの言葉をかけながら、
どうかわたしも彼女も、しあわせでありますように
心から祈りがわいてきました。
人を責めたり批判してるときは、同じくらい自分のこころが泣いています。
そして、ほんとうに幸せな人は、攻撃しないような気がします。
みんなみんなしあわせでありますように。
ごめんなさい
ゆるしてください
ありがとう
あいしてる
わたしの平和