今日は死ぬのにもってこいの日だ‼️ | グッドムーンのブログ

グッドムーンのブログ

真理を伝えてゆくことが私のミッションです
そして、良質な水素ガス吸入器を販売、アフターフォローをしています ご興味のある方はご連絡ください
goodmoon51@yahoo.ne.jp
篠崎携帯08014440018
水素と健康ブログ https://ameblo.mom/hamony51/
Facebookは篠崎朗で登録



「われわれは、末期の病苦を死のせいにするが、それはまちがっている。病とそこに終止符を打つ死との間には何の関わりもない。
病は生の領域にあるものであり、死の領域のものではない


人は死について考えることなくして、生を生き切ることは出来ない


『病気=死』というのは間違った観念



コロナウイルス、ワクチン騒動が一向に収束しないのは、みんな死への恐怖から起きています。

今、どんなに健康な人もお金持ちもいつかは必ず死が訪れる、しかし心の準備が出来ていないから、そして死とはなにか?がわかっていないから平常心を失ってしまうのです。

私はそのような心の状態が不幸だと思うのです!

コロナ禍の中、自分なりの「死生観」を考えてみませんか?

あなたはどんな「死に方」「死に様」をしたいですか?



ネイティブアメリカンの死生観


病気と共に生きるという、宇宙の法則に則った古代人の死生観


古代人たちは、病気になっても 『病気=死』 とは結びつけませんでした。 

何故ならば、病院等が存在しなかったからです。 

その代わり、メディスンマン(呪師 まじないし)や部族の酋長や祈祷師が、その病気の乗り越え方を教えていたのです。

彼らは病気を抱えながらも、自分で出来ることは出来る限り、自分で行なっていました。

食べることも、トイレに行くことも、また、外出することも・・・・・・。

病気の程度に把われることなく、自分で出来ること、働けることは、何でも自分でしていました。

病気と共にありながら、生活を送っていたのです。

全治する、しないにかかわらず、いわゆる病気と共存していたのです。

そして多くの場合、彼らは自然死を迎えてゆきました。 自らの死を悟った時、自然に食を断ち、水を断ち、そして自然に移行していったのです。

自らの死への意志が、自分にも家族にも周りの人々にも自然に伝わってゆき、当然のごとく受容されていたのです。

彼らの直接の死因は病気そのものではなく、その人の寿命で死んでいったのです。

人によっては、外出中に事故で死ぬ人もあれば、災害で死ぬ人もありました。

しかしいずれにせよ、昔の人は病気を抱えながらも自分の家で、自分に出来ることをしながら生活していました。

よほどの重病人でない限り、今ある病院のように、一日中寝かされっ放しではなかったのです。

死ぬ瞬間まで出来る限り人に依存せず、迷惑をかけず、何もかも一人で果していたのであります。

そして、そこには家族や社会とのコミュニケーションが、死ぬ瞬間まで存在していたのです。

それが、その当時の生き方においては、当然であったのです。

それ故、誰もがそれを当たり前のように行なうことが出来たのです。

そして死の二、三日前、あるいは一週間ほど前になると、みな自分の死の到来を直観していました。

そして、自らの肉体自体が自然と食を欲しくなくなり、遂には水さえも拒否するようになってゆきました。

彼らの意識は死ぬ瞬間まではっきりしていました。

大人も子供も淡々と死を受容していました。

精神的な苦悩が伴わなければ、肉体の死、それ自体も決して苦しいものではないのです。

その上、自らの肉体や家族に執着を持たなかったから、なおのことでありました。

このように、人の生死は、宇宙の法則の中で自然と行なわれていたのです。

それこそ、ネイティブアメリカンの教訓にあるように

“今日は死ぬのにもってこいの日だ” という心境だったのです。




人間はいつかは死ぬ、どんな死に方をするのか?も大切だけど、こだわらなければもっと肩の力が抜けると思います。不遇の死を遂げたとしても
又、すぐに生まれ変わるのだから・・・


コロナ? ワクチンで死んだとしたら「絶対に打たない‼️」という強い気持ちで生まれ変わり、世の中に尽くす人になるかもしれない😄
人間の魂は永遠でトータルで観れば、経験を積んでいるだけなのだと思います。



インドでは早死にすると神様が早く迎えに来てくださったと解釈するそうです。
一方日本では、辛く悲しいものと受け取る。
仏教は、インドの考えに近いのだそうです。

あっ仏教はお釈迦様の国、インドが発祥だから当たり前ですよね(笑)