お悔やみを頂戴した 皆様へ
この場を御借りしてご挨拶させていただきます
温かい御言葉 励みとなり感謝しております
ありがとうございました
今 父のもとに向っています
故人の希望で葬儀は
父の旧友 住職の方にお願いし 14日となりました
亡くなってから 葬儀まで数日あり
向っているこの時間 父の事を想う
実家に着いたら 奥の自室から出てきて 客間のあの席に座り
いつもの様に
『 道は混んでいたか 🌸ちゃん 運転 上手になったか 』と 聞いてくれるかな
私と娘の🌸の話を
いつもの様に 笑いながら聞いてくれるかな
数日経っても まだ 顔を見る迄 実感がわきません
今も目をつむると 声が聞こえる
容態を聞き 逢いに行こうとする私に
『 無理をするな 騒がなくていいから 』
消えるような 小さな声でそう言った
『 うん うん しんどいね 良くなるよ 』 電話口でそう言うのが精一杯だった
夜が明けたら すぐ出ようと 荷造りをしていた時
Hiromiさんがメッセージをくださった ➡ 涙の匂い
涙が止まらなくて ボロボロ涙がこぼれて 自分自身訳が分からなかった
その時電話が鳴る 兄からだ
『 親父が・・・ もうダメかもしれない 』
『 うん ごめん 』 『 明日 気を付けてこいよ 』
私が行くと 最後のお別れと思い 父が逝ってしまう様な気がした
そして 1時間後の2時42分 再び電話が鳴り
『 親父 ・・・亡くなった 』 と言われた
以前 父についてお話した通り
➡脳腫瘍グリオーマといわれて 【 始まり ~ 現在まで ㉙ 】
75才で食道癌になり 長くて余命2年と言われた
本人の希望で大きな手術はせず その間 タバコは止めたが
好きな事を我慢して迄 生きていたくないと
周りの心配をよそに お酒飲みで 年に数回 旅行をしては
毎年入退院を繰り返しながら8年経過した
入院の度 幻覚や妄想が酷く 突然暴れ出したり
死の淵を彷徨う事が 何度もあった
毎回 2~3か月入院し 生還する父を
【 不死身の男 】と兄は呼んでいた
今回も 生還するだろうと 皆 思っていた
思いたかった
本家という言葉の残っている家で
次男坊として育ち
外では気風のいい 社交的で華やか人でしたが
自由奔放で特異な性格に
家族の皆は いつも振り回され
優しい兄は黒子に徹し 母はよく泣かされていた
男兄弟の中で紅一点 父に何でも物を言う私は
身内の中で特別な存在と言われていた
若い頃の私は 甘えながら 冗談を交えながら
時には強い口調で 父を諫めた
身内の中で私は 皆を困らせる父を諫める立場になっていた
そんな父も私も年のせいか 勢いが無くなり 私と父との関係も変わった
入院数日前の父からの電話
『 ちょびはどうしてる 』 と 聞かれ
頑張ってる事を伝えると
『 俺と一緒で なかなか死ねないなぁ 』 と言った
『 死なれては困るよ まだまだ一緒にいようよ 』 私は言った
強く頼りになる 昭和の男はもういない
30年前に終わった昭和なのに
父が亡くなり 私の中の昭和は 今終わった気がする
携帯が当たり前になって
時間の流れが早くなって
子供の頃と景色は違うものになったけど
それでもあの頃の思いを 大切に伝えていきたいと思っています
父と私の思い出にお付き合いいただいて ありがとうございました
精一杯 最後の親孝行をしてきます
ぐうちょびmama

