ご訪問ありがとうございます。
グリーンフォレストの森口です(^ー^)
気づけばはや土曜日が過ぎ去って、
はやくももう日曜日の夜。
土曜日は京都河原町(阪急)へ、そして、
日曜日は京都(JR)へ行ってたので、
今週末のイメージは、そう、
THE人混み
やーすごかったですよ。ほんとに。京都。
こんなに人っているんだってくらい、
どこに行っても人だらけでしたから。
ちょっとお茶しようか、
ちょっと何か食べようかと思っても、
どこもかしこも長蛇の列。。。
桜のシーズンがやってくると、
なおさらかもしれませんね。
さて、
24日(金)の日に、
ブログ更新をしたのち、
昨日はブログ更新に至りませんでしたから、
まだ記事化できていない、
先週のセッションでの気づきが渋滞中。
24日(金)には、
お電話による潜在意識カウンセリングもありましたので、
順次取り上げご紹介したいと思います。
今日取り上げシェアする気づき、
それは、
先週月曜日の、
お電話による潜在意識カウンセリングからのもの。
その気づきとは、
たくさんあったんですけどね。
ひとつだけ取り上げると、
自分の選択を「失敗」だととらえたその時から、
私たちは自分という存在に価値を見出せず、
存在を恥だとすら感じてしまう ということ。
いつの間にか私たちには、
インプットされてしまっているんでしょうね。
○○ができてすごいね~。
○○点!!よく頑張ったね!
合格!!さすが!!
みたいな。
できたことが良くて、
できていないことがだめだという考え方が。
いまなんてもう、
「いいね」の数や「登録者数」が、
人物を表す形容詞のようにもなってますから、
なおさらそうなのかもしれません。
肩書や数字=人格 を表すわけではないと、
私たちは身近なところでも、
ニュースなどを通しても知っているはずなのに、
結果を出してこそ、
輝かしい功績を残してこそ、
一人前であり、
すぐれた人格者だと、
そう思ってしまう。
そんな思考の「タネ」を、
私たちはみんな持っているのかもしれません。
結果至上主義 なんて言葉で、
表されたりもしますけど、
たしかに「昭和」の時代は、
それを軸にしての教育や常識、
人格者こそ成功者みたいな、肩書・学歴重視、
なんかそんなのが漠然とありましたし、
親からもそう教わってますしね。
いい人生をおくるためには、
いい大学、いい仕事につきなさい とね。
それが出身校や職業に反映されて、
差別や生きづらさにつながるなんてことも、
実際にありました。
それが社会問題化したり、
時代の流れ、
多様性尊重の観点からもいま、
争わない、競争しない、
個の確立、個性重視とは言いますけど…、
刷り込まれたものというのは、
そう簡単に消えないということもありますから。
なにかにチャレンジした、
果敢に挑戦したらば、
おのずと、
理想とする結末、
わかりやすいハッピーエンド、
誰もがわかる結果、功績、
それらがおのずと脳裏をよぎるでしょうし、
そんなつもりはなくても、
そうしないといけないんだと、
そうならなければ挑戦の意味はないんだと、
そう思ってしまうのも、
自然なことなのかもしれません。
人によってはたしかに、
結果を出さない、出せないことを、
努力不足や能力不足だと判断する人もいるし、
強迫観念の強い人ほど、
(極めて強い不安感や恐怖感)
人格否定や存在否定にまで、
自然とつなげてしまいがち。
結果を出せない自分なんて、
消えてなくなってしまえばいいんだと、
存在する価値もないんだと、
過ぎればそこまで達しますからね。
でも、
結果を求めてがんばるのは良いとしても、
結果を出さなければ、
人として終わる、攻撃される、抹殺される、
そう思うのはさすがに過剰。
そう思いこんでしまえばもう、
「挑戦」なんておいそれとできないし、
チャレンジなんてもう、
死活問題級の大きな話になってしまいます。
これは私の個人的な見解ですが、
チャレンジをした自分、
怖がりながらも果敢にせめた自分、
私は称賛に値すると思うんです。
だって、
怖いのに、震えてるのに、
やるんですもん。すごいことです。
やろうとした自分、
やってみようと決断した自分。
あっぱれだと思うんです。
本当はそんな自分にも、
みなさん気づいてるだろうし、
そう言って自分をねぎらって労わってあげたい。
そう思う気持ちも、
どこかにあると思うんです。
でもね。
よぎるんでしょう。
結果を出せなかった自分を、
みんな笑ってるんじゃないか。
無謀なチャレンジをした私を、
バカにしてるんじゃないかと。
ということは、
私たちは「結果」もそうなんですけど、
なにより怖いのは、
他人から愛想をつかされること なんでしょう。
愛されなくなる、
求められなくなる、
嫌われてしまう、
結果云々よりもじつは、
そちらの方が怖い。
これはもう本能的な恐怖であり、
恐れのひとつでもあるので、
切り離すことはできないんですが、
こうして考えるとわかりますよね。
自分自身の本心が。
そう、私、
愛されたかったんだと。
すごいねって、
よくやってるねと、
そう言ってほしかったんだと。
その言葉から、
愛を感じたかったんだと。
結果ももちろんかもしれないけど、
チャレンジに至るプロセス、
やろうとした、奮闘した自分、私、
わかってほしかった、ほめてほしかった、
ねぎらってほしかったんだなと。
感情的になればなるほど、
私たちの視野はせばまりますし、
結果を求めれば求めるほど、
目に入るのは「数字」や「ノウハウ」ばかりになります。
それ否定するつもりはありませんが、
そこにこだわり始めると、
自然と人は「批判」や「否定」が多くなってくるので、
ギスギスし始めるんです。
殺伐とし始めるんです。
こうじゃなきゃだめ!
なんで(みんな、あなたは)こうしないの?
それじゃ無理だわ。
そうなってきた時は、
視野が狭まって「結果」一点を見ている時でしょう。
一生懸命すぎて、
見えなくなってくるんでしょうね。
そうなってしまっている自分は、
本来求めている「愛される」からは、
大きく外れてしまっていたりもします。
無意識ながらも、
つねに誰かを責めてしまってますから。
そういう時こそ原点回帰。
なんでそうしなきゃって思うのか。
そうしたら何が得られると思ってるのか。
なにを失うことが怖いのか。
失ったときに私に残るのは何、誰?なのか。
感情的になればなるほど、
私たちは感情に振り回されます。
それが人間。
それでこそ人です。
だからこそ、
必要なのは客観視。
自分でそれができないというのであれば、
誰かを頼っていいんです。
助けて!と声をあげていいんです。
今回、クライントさんからストレートに、
「助けて」という言葉をいただきました。
よかった。本当に。
助けてと言えて、言ってくれてよかった。
人に助けを求めるにも、
じつはエネルギーがいります。
色々説明するには、言葉にするには、
パワーを使いますからね。
だからこそ、
エネルギーのあるうちに、
助けて!と、森口さん!!と、
連絡をいただいてよかった。
私はそう思っています。
人はそんなに強くない。
どんなに強く見せてたとしても、
心で泣いている、
作り笑いでごまかしている、
そういうこと、あるんです。
強くあらねばならぬ なんて、
それこそ人格否定。
私はいつも自分にも、家族にも、
クライアントさんにも、
やろうとした、挑戦しようとした、
それこそがすばらしいし 尊い、
そう伝えています。
結果だけを見て人を鼻であざ笑うような人は、
優越感に浸りたい劣等感が強めの方。
それはその人の問題、課題なので、
たしかに気にはなるけど スルーが良しです。
人の不幸は蜜の味。
人間にはいじわるな部分もあるんです。
そこにとらわれるもありですが、
果敢に挑んだ、挑戦した、その行動は、
今この時にはわからなくても、
未来の何かに不思議とつながります。
分かれた道が未来で再び、
ドッキングするような感じかな( ̄▽ ̄)
私たちはわからないんです未来が。
だから絶望してしまう。
人間ですからね。
それもまたしょうがない。
でも、
そんな事情がありながらも、
震えながらも行動にうつしたんです。
すごい勇気です。あっぱれです。
まずはそんな自分をうけとめて、
嫌わないであげてください。
震え泣いている自分に鞭をふるう、
さすがにそれは酷です。
ナイストライ!
ナイスガッツ!
私はその言葉を送りたいし、
恥じるよりもむしろ、
誇りに思ってほしい。
私は個人的にそう思っています。
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