楽しむことに罪悪感をもつときほどやりがちなこと | 京都大山崎 言い訳をやめて夢実現!「できない」が「やりたい!」へと変わる潜在意識カウンセリング 潜在意識専門家(公認心理師)

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グリーンフォレストの森口です
(^ー^)
 
 
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史上最長となる10連休のGWも、
いよいよ今日が最終日。
 
みなさまここ数日
いかがお過ごしでしたか(^ー^)
 
 
10連休10連休とは言われましたけど、
実際に10連休となる方々はほんの2割程度で、
 
 
あいだにちょこちょこと、
出勤していたという方もけっこう多いよう。
 
 
我が家も同じく、
夫婦ともにちょこちょこお仕事をしながらでしたし、
 
息子もほぼ部活でしたからね。
 
 
連休と言われてピンとくるほど、
ゆっくりした~って感じもあまりないし、
 
むしろ、
 
なんだかんだと出かけていたので、
「せわしない」感の方が強いGWだったかも( ̄~ ̄)
 
 
とはいえ、
 
 
いつもはないようなイレギュラーな出来事があったり、
 
ごっそりモノを処分するという断捨離をしたりと、
 
 
その都度色々楽しんでましたからね(^ー^)
 
これはこれでまた記憶に残るGWだったんじゃないかな。
 
 
 
IMG_20161020_185242321.jpg
 
 
「やってて楽しい」と、
「やらなきゃいけない」。
 
 
言葉にするとなにか後者の方に、
うっすら義務感のようなものが漂いもするので、
 
 
あまりそこには、
楽しさや喜びを感じられないようにも思うんですが、
 
 
やらなきゃいけないという負荷がまた、
ちょっとしたスパイスとなるのかな?
 
 
人によってはその「負荷」が、
ちょっとした刺激や実感につながり、
 
その負荷があるから楽しめる、
その負荷があるからこそ実感できるという方もいらっしゃいます
 
 
 
たとえば「使命」という言葉もそうかな。
「誰かのため、なにかのため」とかもね。
 
 
私は個人的に、
「使命」という言葉が好きではないので、
 
基本セッションや講座、ブログ内では、
意識してつかわないようにしているんですが、
 
 
 
人によっては「使命」という言葉で負荷をかけ、
 
 
やらなくちゃ!といった義務感や焦燥感でもって、
楽しむこと喜ぶことを自分に許すという方もいらっしゃいます。
 
 
 
純粋に楽しむ喜ぶでいいんだけど、
 
無意識のうちに「制限」をかけるんでしょうね。
 
 
罪悪感もあるでしょうし、
私なんかが…という思いもあるのかな。
 
 
 
楽しむことに対して罪悪感が働くから、
純粋に喜んだり楽しんだりすることができない、
 
落ち着かないんでしょうね。
私=喜び・幸せという構図が。
 
 
 
なのでそこにわざわざ「使命」という、
ちょっと改まった重みのある言葉をつけ、
 
ちょっとした負荷を自分に加えて、
 
 
 
その負荷の縛りや重みでもってようやく、
楽しむ私を良しとする、
 
言葉にするとそんな感じでしょうか。
 
 
 
私=喜び・幸せよりも
私=苦悩、焦燥の方がまだしっくりくるのかもしれませんね。
 
 
 
私が使命という言葉にあまりいい印象を持たないのは、
 
 
その言葉によって、
楽しいことが楽しいものとして存在するんじゃなく、
 
 
個人から大勢、
 
一気にオフィシャルなものになるように感じるからかも。
 
 
純粋にたのしむ~♪から、
私じゃない誰かの楽しみも足して初めてOKみたいな(--)ね
 
 
個人的にたのしんじゃダメ、
みんなのために誰かのためにこそ良し、
 
 
そう言われてるように感じるからかな。
 
 
 
 
 
やってて楽しい、きづけば没頭、
 
それをやってるときは、
ほんとに生き生きしてるね、楽しそうだね。
 
 
それがおのずと、
 
その人の「本質」に呼応するもの、
その人だけが持つ強み、
 
 
言葉に置き換えたら「使命」にも、
近づいていくものなんじゃないかなと、
 
私は個人的に思ってるんですが、
 
 
 
楽しさにも喜びにも、
なにかそんな自分じゃない「誰かのため」をくっつける、
 
そうして喜びを良しとする、
楽しむことを良しとする、
 
 
私だけじゃなくみんなも、誰かも。
 
 
それはいっけん美しく、
尊いもののように感じるかもしれないけど、
 
 
シンプルに言えば、
 
 
楽しむことに対して喜ぶことに対して、
 
罪悪感や気後れした感じを持っているとも、
いえるんじゃないかしらと(--)
 
 
 
おもしろい!たのしい!に根拠や意味なんてないし、
 
純粋にやりたい!たのしい!で良いと思うし、
 
 
 
使命があろうがなかろうが、
あなたはとても尊く価値ある存在なんですよと思うしね。
 
 
 
家族のためにとか、
だれかのためにとかも大事だけど、
 
 
その前にあなたが楽しいと思うかどうか、
そこにあなたの喜びがあるかどうか、
 
 
それが最も見落としてはいけない事なんじゃないかなと、
 
私は個人的には思っています(^ー^)
 
 
 
使命なんてなくっても、
わざわざそんな「こうであるべし」なんて作らなくても、
 
あなたがいることを喜ぶ人はいますから。
 
 
そう考えると、
 
 
使命にこだわる時、
生きている意味は?を自問自答する時って、
 
 
自分の喜び、
楽しむことに対して罪悪感をいだいたり、
 
 
自分の存在価値というものを、
見失っている時なのかもしれませんね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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