森口美紀、悲劇のヒロインになるの巻き~ヒプノセラピーで気づかされた真実~ | 京都大山崎 言い訳をやめて夢実現!「できない」が「やりたい!」へと変わる潜在意識カウンセリング 潜在意識専門家(公認心理師)

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奇跡は「自分」でつくるもの!見える世界と見えない世界をつなげます。おもいこみにふりまわされるのではなく、潜在意識を活かして輝く!受け身ではなく、主体的に生きる方法をお伝えします。



ようこそ♪ グリーンフォレストへ


ご訪問ありがとうございます
グリーンフォレストの森口です
(^ー^)
 
 
時折こちらでも取り上げご紹介している、
私自身のヒプノセラピーでの体験談。
 
 
人によってはにわかに信じがたい、
夢物語のように聞こえるかもしれません。
 
 
たしかにその体験をしたことがない方からすると、
どうしてそうなるのか理解しがたいかもしれません。
 
 
どの人をも納得させるような説明は正直難しいですし、
 
言葉を尽くしてもやはり
すべてを伝えることはできないかもしれない。
 
 
でもだからこそシンプルに私はお伝えしたいんです。
 
 
私たちの体がもともともっている自然治癒力と同じように、
 
心にもなにかそういった自己治癒力、自己改善力が、
どの方にももともと備わっているということを。
 
 
そしてその能力は、
 
現実と想像の区別がつかないという、
脳のおもしろいひとつの特徴とあいまった時、
 
 
現実では考えられないような、
秘めた力を発揮するんだということを。
 
 
私たちがこの世に生まれた時に与えられたこの体と心は、
 
こんなに技術が進歩した時代でもまだ、
解明されないことも多いまさに「宇宙」のようなもの。
 
だからこそ、
 
この未知の「宇宙」でもある私たちの体と心は、
 
私たちの「意思」によって、
いかようにも変化を遂げていけるんだと私は思うんです。
 
 
 
 
昨日の朝ふと思い立って友人に連絡し、
 
 
たまたま都合がついたという偶然(必然)と、
私を思いやってくれた友人の優しさによって実現した、
 
 
ヒプノセラピーをしたいという私の突然の衝動。
 
 
これ→その経緯はこちらの記事で
 
 
 
当日に突然自己メンテナンスをお願いするなんてこと、
相手の予定を考えたらとても私にはできないこと(--)
 
そんな方法を今までにとったこともなければ、
ひらめいたとしても行動にまでうつさなかったと考えると、
 
 
昨日は私が思っている以上に、
いつもの私ではなかったのかもしれませんね。
 
 
 
 
昨年末に父親が実家の階段から転げ落ちたことにより、
私を取り巻く環境は大きく変化しました。
 
 
若い頃から足腰のトレーニングをしていた父が、
階段から落ちるという不慮の事故。
 
絶対ありえないということでもないので、
そんなことがあってもおかしくはないのだけれど、
 
 
年がいっても足腰さえ元気でいれば、
必要以上に人に世話になることもないだろうと、
 
自分の親(私からしたら祖父母)を介護した経験から
 
父なりに足腰のトレーニングを日常的に取り入れ、
サプリも摂取していたのを知っていたので、
 
 
父が階段から落ちたという事実は、
我が家では晴天の霹靂でもあったんです。
 
しかもその代償として、
 
父は体のほぼ大半の運動機能を失ったわけですから。
 
 
にわかには受け入れがたい現実を、
私たち家族は突如として突き付けられ、
 
それでもなんとか希望を持って未来をみつめる、
そんなこの2か月でもあったんです。
 
 
私のことを知っている人は、
 
私が感情的になる場面ってあまり、
想像がつかないかと思うんですが、
 
それは私自身もじつはそうで、
そんなに感情的になることってふだんからそうないんです。
 
 
でもそれは何も問題がない今だからこそ。
 
 
もともと感性が鋭い分、
アンテナはいろんなものをひろいますから
 
心に余裕がなくなれば、
本来のその感性が逆に作用して、
 
愛情なんかが絡めば大変ですよね。
思いのほか秘めた感情が爆発することになります。
 
 
だからね、今回思ったんですよね瞬間的に。
 
すごいところをついてきたなと。
 
 
父のこの件は私に、
「何か」を伝えようとしてきてる出来事で、
 
しかもそれは私の最も苦手なところをついてくるものだなと。
 
 
でもその苦手なところは、
これから先の私にはとても必要とされるものだから、
 
 
もうここが受けとめ時、この先はないんだろうと。
 
 
だからこそこの件を乗り越えた時には、
私自身すごくキャパがひろがるんだろうし、
 
人間的にも大きく成長できるのかもしれない。
 
 
不慮の事故がもし母であったら、
そこまで私は感情的にはならなかっただろうし、
 
逆に、
 
これが主人や息子であったら、
感情だなんだということにすら意識がいかないくらい、
 
ぐるんぐるんに翻弄されて、
冷静さなんてまずたもてなかっただろうと。
 
と考えれば、
 
感情的になりつつもなお、冷静にもなれる。
翻弄されながらも俯瞰もして見られるギリギリのライン、
 
 
ものすごく絶妙な部分をつかれたなと、
この世のしくみに感嘆したところもじつはどこかにあったんです
 
 
 
 
 
でも人ってね、
頭で理解できているからといって、
 
心も同じように納得しているかといえばそうでもなく、
 
頭の理解と心の納得度って、
比例しているときもあれば、相反している時もあるんです。
 
 
私はふだんこの仕事をしていることもあって、
 
集中治療室でみた父の衝撃的な姿などには、
やはりすごく感情的になったんだけれど、
 
 
落ち着いてきた現状況では、
意外と俯瞰してものごとを見られる部分もあるにはあるので、
 
いまなぜこの出来事が起こったのか、
おぼろげには理解できていたんです。
 
 
お世辞にも仲が良いとは言えない両親が、
 
人生の総仕上げという段階でようやく、
ずっと見て見ぬふりをしてきた互いの「愛情」というもの、
 
そこに目を向け相手をそのまま受け入れるという、
そんな学びを今しているんだろうなと。
 
 
嫌いあってるわけでもないんだろうけど、
愛情表現が極度に下手な2人でもあるから、
 
いつも子供が橋渡しをしていたところもあったので、
 
 
いま子供が巣立ったのち、
どうしても互いを求めあわなければ成り立たない状況の中で、
 
譲り合いや思いやり、
相手を変える、思い通りに動かすということではなく、
 
 
相手をそのまま受け入れて互いに折り合いをつける。
 
 
本来は子供をはさまず、
自分たちで解決しなければならなかったことを、
 
子供にまかせ押し付けてしまった部分に、
いま目を向けさせられてるんだろうなと。
 
 
人生の最終局番だからこそ、
もう身動きすることなく逃げることなく向き合う、
 
そのために今、父は
こういうかたちを最初から選んでいたのかもしれないなとね、
 
そこまで頭では理解していたんです。
 
 
だから必要以上に子供たちは手を貸すことなく、
フォローにまわるべきなんだろうなと。
 
 
でもこれはあくまで頭の理解。
心はね全然違うんですよね。
 
 
目の前のことにやはり翻弄されますし、
なにより動きたいのに動けない父の姿を見ることが
 
私にしたらすごくつらいしすごく悲しい。
 
 
だからこそ、
頭の理解が薄れる瞬間がどうしてもやってくるんです。
 
 
 
 
ヒプノをするにあたってなにを望むかとなったとき、
 
べつに私はいま過去に戻って、
自分の不満だった部分を癒したいとは思わなかったんです。
 
 
今それじゃないなと。
 
 
それよりも頭の理解と心の理解、
その差を調整したい、バランスをとりたいって思ったんです。
 
 
頭ではそこまでわかってるわけだから、
あとは何かに感傷的になっている自分がいるということだけ、
 
ならばその感傷的になっている理由を、
頭じゃなく心で納得できたらいいなと。
 
 
心で納得となると理屈や理由じゃなく、
ただただなるほどねという感覚ですよね。
 
その実感を得られればいいなと。
 
 
だからこそ私はそれを、自分の潜在意識にオーダーしたんです。
 
 
 
 
 
ヒプノセラピーが始まって、
自分の心安らぐ場へイメージのなかで移動した時、
 
おそらく初めてじゃないかな?
主人と一緒に海辺を歩いている光景が出てきたんです。
 
 
ながらくもう何度もヒプノをしているけれど、
主人と一緒にいることから始まるヒプノって今までになく、
 
それにはちょっと軽く動揺。なんで?って。
 
でも心はね、
ものすごく安心感を得てるんですよね。
 
 
もしかしたらこの父の件で、
いつもそばに主人がいてくれたという事実が、
 
私を素直にしてくれたのかもしれないし、
 
以前はどこかで持っていた対抗心みたいなものが、
いつのまにやらなくなったのかもしれないなと。
 
 
言葉にはならない安心を得たのち、
次に私の潜在意識が選んで見せてきたシーン、
 
それは私の結婚式が始まる直前という場面。
 
 
父と私がこそっと言葉を交わすシーンだったんです。
 
 
もうほんとに忘れてしまっていた、
時間にしてもほんのちょっとの瞬間のシーン。
 
その場面が思い出されて「あ…」って思ったと同時、
ぼろぼろと涙が止まらなくなって、
 
 
とりあえず感情的に落ち着くまで、
私は私自身に泣かせてあげる時間をとらせてあげました。
 
 
中途半端に止めるとね、
感情って残ってしまうんです。
 
だから出させてあげる。
いいよ泣いてもって自分を許してあげる。
 
 
思考が働く日常の中じゃ、
大人は泣くな、泣くのはかっこ悪いなんて、
 
意外と止めてしまってますからね。制限かけてね。
 
泣ききらせてあげるって、
思いのほか癒し効果があるんです。
 
 
父と式直前に話したのは、
「美紀おめでとう」といういたってシンプルな言葉。
 
 
でもじつは結婚直前の数か月のあいだ、
父と私は生まれて今までなかったようなケンカをしていて、
 
当時ちょっとした冷戦状態でもあったんです。
 
というのは、
 
花嫁の父になるということもあり感傷的になったんでしょうね。
 
 
見たことがないくらいに父は感傷的になってしまって、
どう対応したらいいのか私も混乱したがゆえの冷戦だったんです
 
 
いつもはクールな父だけに、父自身も戸惑ったみたいで、
妙にぎくしゃくしていた結婚前の父と娘。
 
「美紀おめでとう」と言った式直前の父のその言葉は、
 
 
私とってすごく意味のある、
かつ父の愛情を深く感じる言葉でもあったんです。
 
 
そしてまた場面が変わると、
今度は小学生時代。
 
 
家族と食事に行ったシーンが出てきたんです。
 
 
みんなが食べ終えてさぁごちそうさまとなった時、
 
父があと一品頼むとなって、
母があきれて店の外へと出ていってしまったそんな場面。
 
 
これまた忘れてしまってたんだけど、
たしかに記憶のあるシーンでもありました。
 
 
母にしてみれば、当時メタボ気味だった父を、
戒めるためのひとつの行動だったんでしょうけど、
 
幼い私からしたら理解が出来ないんですよね。
 
なんで食べてるお父さんを残して、
外へと出ていってしまうんだろう?と。
 
 
意地悪だなお母さん。
私がついてあげなくちゃお父さんがかわいそうじゃないと。
 
子供ながらにそう思って、
 
「お父さん美味しい?」なんて言いながら、
私は父の前に座ってずっとニコニコ父を見ているそんなシーン。
 
 
潜在意識って順にいろんなシーンを見せてきます。
 
一見つながりのないようにも見える時があるんですが、
じつはそこにはちゃんと「テーマ」があるんです。
 
 
たとえば、
最初の父との式直前のシーンにしても、
 
母がお店から出ていったシーンにしても、
 
 
じつは父母2人の性格と彼らのコミュニケーション方法を、
教えてくれてる意味もあるんです。
 
 
自分の感情をうまく表現できない不器用な父、
 
目的があれど、
まったく関係ないような行動をとって思いを伝えようとする母、
 
 
ようは2人ともひじょーに不器用で、
相手にうまく伝わらないような愛情表現をする2人なんですよと
 
私の潜在意識は再度私に認識させるようにして、
 
 
過去のワンシーンから、
なるほどそうだった!と私が納得するような
 
そんな場面をわざわざ選んで見せてきたんです。
 
 
べつに他のシーンでもよかったんだけれど、
 
でも私からしてみると、
 
そうそう!ほんとあの二人は愛情表現が伝わらない!と、
そう最も認識しやすい絶妙な場面でもあったんですよね。
 
 
 
 
 
そして最後に出てきたシーンがいま現在。
 
病院で父としゃべってるシーンが出てくるわけです。
 
現実とごっちゃになるくらい今現在の風景ですから、
どんどん頭は現実に引き戻されそうになるんだけれど、
 
 
さっきのシーンがもう私の中でよみがえってますからね、
 
 
愛情表現が下手な父と母だと、
そう理解した上でイメージの中の「いま現在」見ているわけです
 
 
そこで気づくんですよね。
 
ほんとに私たち子供から見たら、
 
 
え…なんで今その言葉をチョイスするの?
 
そこは「ありがとう」だけで良いんじゃないの?
 
そんな態度するから父を怒らせるんじゃないと(--;)
 
 
わけのわからない愛情表現をしている両親が、
はがゆいやらめんどくさいやらで、
 
だからそうじゃなくって…と、
ついつい口から出てしまう今の現実でもあるんだけれど、
 
 
もう心で納得しているところもあるから、
イメージの中では現実とはちがい、
 
冷静に両親を見ているんです。
感情をみだされることなくね。
 
 
お世辞にも愛情表現がうまいとは言えない二人だけれど、
 
なんだかんだ言いつつ、
憎まれ口をききつつもずっと一緒にいるんじゃないと。
 
 
毎日病院に行かなくてもいいんだよと、
 
しんどいしんどいと言う母に、
気遣ってそう言葉をかける子供たちの言葉をスルーしても、
 
毎日バスに乗って、
遠くの病院までお見舞に行ってるわけだから、
 
 
それが母なりの愛情表現なわけで、
 
 
そんな母が来るのを、
憎まれ口をたたきながらも待っているのも、
 
父なりの愛情表現なわけだから。
 
 
いたわりあって助けあって、
ありがとうねなんて言い合ってる姿を見たら、
 
私を含め兄弟たちも安心していられるわけだけど、
 
 
ものすごくわかりにくくはあってもまぁ、
これはこれでこの夫婦(両親)の愛情表現であり、
 
それは2人の自由なわけだから、
 
 
もっと優しい言葉を掛けたら?
もっと労わってあげたら?という言葉は、
 
子供たちの思う各々の「夫婦像」。
 
 
そうしなさいと2人に言うのはある意味、
子供が親に押し付けているわけでもありますからね。
 
夫婦なんてほんと人それぞれ。
 
どの形が正解でどれがダメなのかなんてわからないもの。
 
 
私の両親に限らず、
 
一見仲良くなさそうな険悪な2人であっても、
離れないという選択をしている夫婦なのであれば、
 
なにかそこにメリットがあって(愛情や金銭的なもの)
 
 
すくなからず納得して、
一緒にいる事を選んでいるという見方もできるわけだから、
 
 
互いの言い分は聞いたとしても、
それをあーしろこーしろというのはまた違う話。
 
2人がそれでいいのなら、それでいいんだろうと。
 
 
仕事柄、頭ではそう理解していた部分が、
両親の姿と重なり過去の思いも含めて理解へと変わり、
 
なるほどなと心でも納得ができたので、
 
 
普段仲違いしている両親を見た時に、
「…。」と思っていた部分がもうひっかからなくなり、
 
ふーん、まぁあなたたちもほんと、
あきもせずよくやるよね(--)と、
 
 
感情の波にのまれることなく
見守ることができるような状態になれたんです。
 
 
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ひとつ補足しておくと、
 
家族のなかで誰かと誰かが仲が悪い、
自分と誰かがいつも仲違いしてしまう、
 
そんなことってどの人も少なからずあると思うんですが、
 
たとえば私の実家を取りあげると、
 
父と母の仲が良くないとなると、
必然的に子供が巻き込まれることになります。
 
 
子供からすると「自分がいなければ」とか、
「私がしてあげないと」ってなるんでしょうね。
 
 
それは我が家に限らず、幼い頃って、
子供にしたら親が自分の生活のすべてを担っているから、
 
つぶれてしまう(離婚)と自分がどうにかなってしまう、
自分の生活が脅かされてしまうという恐れが無意識にあるので、
 
 
なんとか修復させよう、
仲良くいくようにしてあげようと力を貸すんです子供ながらに。
 
 
シンプルに親に仲良くいてほしい、
そして自分の居場所(家族)が欲しいからですよね。
 
 
でもこれって違う視点から見ると、
 
 
仲違いをすることによって、
自分の居場所ができるという側面、メリットもあるんです。
 
誰かと誰かが仲違いをすることで自分のポジションができる、
 
 
ようは、
間に入って自分がどうにかしてあげなくちゃとなることで、
 
結果的に自分の「居場所」ができるわけです。
 
 
そうするからよけいに、
うまくいくものもうまくいかなくなりますよね、
 
本来はその人が自分で突破していかなきゃいけないわけだから。
 
 
そのつもりはなくても、
何とか自分でしようとする力を奪ってしまうことになりかねない
 
 
仲違いする両親、
でもほんとは実はそれでうまくいってた両親がいて、
 
その姿を見て子供ながらに、
私がなんとかしてあげなくちゃ!となった幼い私や兄弟がいて、
 
 
なんとかして!と親の愚痴を聞かされることで、
今また自動的に無意識にそのスイッチが入り、
 
思いのほか手を貸したことで、
母はそれに乗っかっていくし、
 
結果として私や兄弟は、
幼い頃の感情がうずいて母に対する責めが生じ苦しくなる。
 
 
母は本来自分で見つめなきゃいけない
自分の愛情表現から目をそむけたことで、
 
父とまた同じことを繰り返そうとしているという
現実もできあがってしまうと。
 
 
ということは、
父と母はここでどん!と腰を据え自分の愛情表現を見なおして、
 
そこからなにかを感じ取って表現というものを変えていく、
 
互いを思いやることこそが現実を変えていくベストで、
 
 
私たち子供は最低限だけ手を貸して、
あとはもう見守るという方法をとるのが得策であり必須事項。
 
 
普段お仕事でなら見守るということができるのに、
 
一番感情をもっていかれる、
父の不慮の事故というかたちがおもいのほか私には効いたみたい
 
 
知らない間にまきこまれて、
 
今の私のキャラとは最も無縁の「橋渡し役」になったことが、
無意識の制限と共に私を停止させてしまったんだろうなと。
 
悲劇のヒロインですよねまさに。
 
 
でもむかしむかしの私ならともかく、
今の私は人と人の間に自分の「居場所」が欲しいわけじゃなく、
 
私の意志で、私の思いで、
あーするこーすると決めて行動したいわけだから、
 
 
したいことを過剰に我慢して、
父と母に合わせるというのは私であって私でなし。
 
まったく本質に合わないわけです。
 
 
優しさと手助けは紙一重。
手助けも行き過ぎたらおせっかいで押しつけです。
 
仕事ならそこを意識して死守するのに、
 
過去の経験からくる家族のかたちだっただけに、
ナチュラルに染まっていったんでしょうね私も。
 
 
主人と子供とならまた、
このパターンにはならなかったと思うけれど、
 
入院したのが母ではなく父だったという事実と、
 
衝撃的な不慮の事故から始まっただけに、
一気に感情が持っていかれてしまいやられたなと(--;)。
 
 
ほんとに絶妙なところをついてきた、
父の不慮の事故から始まった今回の気づき。
 
ほんとにこの世のしくみはすごいなと心底納得しました。
 
 
 
 
そして最後に、
いつも私を見守って導いてくれている白龍が突如出現☆
 
ドアップでいろいろ私に補足してくれました。
 
 
いろんな気づきを得て、気持ちの整理がついて、
ふーっとなっていた時に現れた白龍。
 
お疲れさまと言わんばかりにくいっと背中を振り返って、
(背に)のりなさいと示してくれました。
 
 
背中に乗ってくったりと身を任せていると、
 
 
よくがんばった、待っていたよと。
 
あなたがこのことをクリアするその時を、
ずっとここで待っていたと。
 
そう白龍は私に伝えてきました。
 
 
 
頭で理解して納得するだけじゃなく、
心を動かして全力で物事にぶつかっていく、
 
そうして体と心で実感すること、
それが必要とされるのがこの世界。
 
 
だから感情というものがあるんだよと。
 
 
そして、
 
誰もがみんな、
自分の良しとすることを選んでいるんだということ。
 
 
たとえそれが一見、
しんどくつらそうなことであっても、
 
苦しく理不尽なことであったとしても、
 
 
それもまたその人が「選んだ」結果なのだから、
 
 
それもまたその人の自由であり、
人がどうのこうのいうことではないんだよと。
 
 
それを見てあなたがどう思うのかはあなたの自由。
それでいいんだよと。
 
 
次のステージではその気づきがどうしても必要とされる。
 
 
よくがんばった、
ずっと待っていたよと。
 
クリアですと。
 
 
そう白龍は伝えてきたんです。
 
 
 
その言葉を聴いたのと、
はーっと力が抜けたのとで、
 
イメージの中で私は、
ただただ白龍の背中でぐったり休んでいたんですが、
 
ほどよく力が戻ってきたときに、
直角のようにして上へと上昇しはじめ、
 
 
さぁ次へと進んでいきますよと。
そう声をかけてきました。
 
 
私が心も体も全力で目の前のことに没頭することで、
次につながる気づきをある意味深く「刻みこんだ」わけだから、
 
なにかのちにこの気づきは、
ほんと大きな意味を成すのかもしれませんね。
 
手を出したくてもただ見守る、すべてはその人が選んだもの。
 
 
今以上にそこが求められるのかもしれません。
 
 
というのは、
 
これから少し先の未来として、
ある一場面が浮かんできたんです。
 
 
少し先の未来で私はどうやら今以上に大きな規模で、
たくさんの人に潜在意識の面白さをお伝えしているよう。
 
出会う人たちにいろんな話をしながら、
無意識でかけてしまっている自分の「制限」に気づいてもらう、
 
そのお手伝いをどうやらしている模様。
 
 
そこでご縁がどんどん広がってまた世界も広がっていく、
それが私の望む生き方だったんだと気づく、
 
そんなシーンが出てくるんです。
 
 
望む生き方って人それぞれ。
みんながみんな大きなコミュニティに属する必要もないんです。
 
せねばもやらねばも必要なし。
 
 
自分がそれを望むならそうしたらいいってだけの話なんです。
 
 
私はどうやら、あちらこちらへと出ていくような、
そんな世界を望んでいるみたい。
 
未来の一場面の私は、
ほんとに楽しそうにみなさんの前でお話していました。
 
 
その楽しさそうな自分の姿を胸に、
また白龍に見守られすすんでいくこれから。
 
 
できる範囲で両親の手助けをしながら、
 
翻弄されることなく私の人生を、
望みを叶えていこうと思った昨日のヒプノセラピー。
 
 
おもしろいことに昨日今日と、
母からメールがきていたんだけれど、
 
何も知らないはずの母なのに、
なぜか文面が変わっているんですよね。
 
今までは愚痴やしんどさを訴えるものだったのに、
現実を見て自分にできることをやろうとしはじめたのかな。
 
 
潜在意識ってみんなつながっています。
 
 
1人の気づきが連鎖して誰かにも影響を与える、
そんなことはふつうに起こります。
 
だからこそ、
 
誰かを変えることに躍起になるんじゃなく、
自分が自分の求めるものを実現したらいい。
 
そうすれば結果、
 
あなたの知らないところで、
あなたのその姿でもって誰かに貢献することになりますから。
 
 
長い長い文章になりましたが、
どこかしら「気づき」につながって、
 
すこしでもあなたの力が抜けて、
楽になることができたならうれしい限り(^ー^)
 
 
最後までおつきあいいただきまして、
ありがとうございました。