随想

 

 

AIが仕事を奪う、という。

 

本当だろうか。

 

 

隣の国で、起きたこと。

 

スマホで見る縦型ドラマ。視聴アプリの利用者は七億人。市場規模は一兆円を超えた。

 

去年、新作の九割五分がAI製になった。制作費は九割下がった。

 

それでも、誰の手元にも残らなかった。ある会社は一ヶ月で十一本を量産して、受取額が二百円だった。

 

売上の七割は、はじめから広告費として流通側へ流れていた。

 

作る人のところには、もともと来ていなかった。

 

奪ったのは、AIではなかった。

 

 

奪われたのは、「歯車」の価値だった。創る側にいたつもりだったが、誰かの仕組みの歯車だったのかもしれない。

 

ショートドラマの監督は映画を撮る力があった。能力自体は本物だった。ただ、その能力が積む先が全部、自分の外だった。監督が撮った2500話はクライアントのもの。

 

能力は正しかった。向き先だけが、自分の外を向いていた。

 

 

では、あの七億人は何を見ているのか。

 

どれも同じ話で、見終わると何も覚えていない。それでも、見る。

 

制作費一千万円。五日間で一本分を撮りきる。台本はアルゴリズムが配る。編集の目的は、面白くすることではなかった。考えさせないこと。少しでも考えると、欠点に気づかれるから。

 

撮影が終わると、スタッフは挨拶もなくバイクで散っていく。仕事はあった。金も少し出た。でも、二度と会うことはない。

 

百円のワンタンを、一人で、画面を見たまま食べている。

 

貧乏とは、お金がないことだ。貧困は違う。誰にも見られていないこと。関心を持たれないこと。

 

百円のワンタンしか食べられないなら貧乏だけなのかもしれない。でも、それを一人で、画面を見たまま食べているところが貧困をあらわす。

 

ショートドラマの現場を追ったドキュメンタリーが、それを映していた。画面の内側にも、外側にも、おなじ空気が流れている。

正しく「自分」を見られないこと。見てもらえないこと。それが、あの現場の全員に共通していた。

 

 

あの物語を開くと、だいたい同じような話が始まる。身分を隠した男と、それを知らない周囲。主人公は、最初から全部持っている。

 

 

足りていないのは一つだけ。事実を伝えても、信じてもらえないこと。

 

妻は五年間、目の前の人を見なかった。配達員という枠だけを見ていた。中身ではなく権力や資産のあるなしを見ていた。

 

近い人ほど、枠は固くなる設計。

 

見ている側は分かっている。誤解される。説明する。信じてもらえない。また誤解される。

 

最初から最後まで、その繰り返しだった。何度も確かめたくなるのは、結末が気になるからではない。「なぜ目の前にいるのに見ないのか」が、自分の話に聞こえるからだ。

 

 

正しく見るとは、足さないことだった。

 

上に見ない。下にも見ない。枠を当てない。そのまま見る。

 

褒められたのに虚しい、ということがある。評価は高い。でも精度が低い。褒められた中身が、自分ではなかった。求めているのは高さではなく、精度だった。

 

「なんでそんなことできるの」と言われて、

 

「え、普通じゃないんですか」と返したことは、ないだろうか。

 

そこだった。

 

 

あの監督は、自分の力を見ていた。でもその力がどこに積まれているかを見ていなかった。2500話撮って、全部クライアントの棚に載った。

 

画面の中、妻は五年間、夫を見ていたつもりだった。見ていたのは「配達員」という枠だった。周りの意見を重視して、五年間、一度も正しく見ようとしなかった。

 

七億人は、画面を見ていた。でも何を見ているかを見ていなかった。見終わると何も覚えていない。

 

全部、見ているつもりで、見ていない。

 

そしてここが核心だと思う——自分を見ていないと、自分を正しい場所に置けない。

 

正しくない場所に立つと、替えが効く。替えが効くものは、構造の都合で消される。奪われるのではなく、そもそも自分のものにならなかった。

 

 

奪われる心配をしていたのは、外から借りてきたものだった。プラットフォーム、アルゴリズム、検索の順位。

 

生まれたときから持っていた天分には、気づいていなかった。当たり前すぎて、見えなかった。

 

「普通じゃないんですか」と返したもの……

 

 

自分が見えると、合う場所が見える。

 

四十代の人が十代と恋愛しようとすれば、互いに無理がかかる。逆に年上すぎても同じことが起きる。もちろん、無理を承知で貫くのもあると思う。

 

仕事も、同じだった。上を目指すのでも、下に甘んじるのでもない。自分のままで合う場所がある。

 

誰と組めば、互いに良くなるか。成長できるのか。その問いは、自分を正しく見た後にしか立てられない。

 

そして合う場所に立ったとき、両方が良くなる。片方だけが得をする形は、長く続かない。あのアルゴリズムが証明したように。

 

 

自分を正しく見たとき、唯一無二が見つかる。

 

それは、呼吸するくらい楽にできること。

 

無理なくできるから、相手も楽になる。奪い合いにならない。

 

AIは、誰かの歯車の値段を限りなく下げた。でも、自分のシステムを持つ人の手は、広がった。

 

奪われる側から、創る側へ。その転換点は、自分を見たところにあった。

 

 

 

 

寛音(ひろん)