こんばんは♪
皆さま、ゴールデンウィーク
いかがお過ごしでしたか?
私は
いつも以上に
充実した日びでした。
今朝は、写経会でした。
そのテキストから
「ナムアミダブツで拝むとは、自分が偉そうにしないということです。
そうすると大自然のいのちが、いのちの根源が、自分なりに感応してくる。そのあ
りがた味が、もう時どきは男でも涙をおさえられないくらい感じてくる。それがあり
がたくてわたくしは生きている。一日でも生きられるということが、もったいないな
ぁと思うのです。お念仏とはそういうものです。
サトレないのは、心にフタをしているから。フタをとると、大自然のいのちの根源に
感応してくる。そのよろこびをさとらなければ、生きていても何にもならない。
この感応、このいのちの根源との感応をよろこぶのは、いのちの交響曲ともいえる無
上のものです」
(『いのちの讃歌』山本空外著述)
自分のいのちは
どこからはじまっていますか?
お母さんから生まれた日からですか?
お母さんの胎内に宿った日からですか?
卵子と精子が受精してから
いのちがはじまるのですか?
すると
卵子と精子には、いのちがないのですか?
そうではないですよね。
両親・祖父母とずっと
つながっています。
いのちのはじまりって??
質問ばかり
たくさん書きましたが
質問を続けていくと
自分のいのちのはじまりは
この宇宙のはじまりまで
ずっ~~~と
途切れることなく
続いて行きます。
宇宙のはじまりが
いのちの根源(はじまり)です。
自分のいのちと
大自然のいのちと
ちゃんと
つながっていると
理屈抜きに
感じられたとき
いのちそのものに
ブラボーって
叫び声をあげたくなります。
インド人は
それを
「アミター!」って
言っていました。
自分が今、生きていることの
素晴らしさ。
これを感じずに
一生を終えたら
残念です、と空外先生は
おっしゃっています。
念仏、ナムアミダブツと称えると
心のフタが外れて
大自然のいのちとつながれる!!
すばらしいよろこびです。
☆
今日、午後
あるお家に
お参りに行きました。
お母さんが
亡くなり
お父さん一人になり
そのお父さんも
3年前に亡くなって
嫁いだ娘さん
お二人が
育った家を手放すので
最後に
お仏壇の精霊抜きの
おつとめに来て欲しい、と。
そして
おつとめが
終わった後
妹さんが
「私、この二、三日、死にたい、死にたい!」と
ずっと
考えていました。
お父さんが亡くなって
大好きな親友も
40才そこそこで
ガンで亡くなって
この家もなくなってしまう
なにか
とても
寂しくて
寂しくて
たまらなくなったから。。。
この娘さんは
子どもを授かったのですが
流れてしまったこともあるのです。
涙で
顔はくしゃくしゃです。
☆
そっと
その方に
手を当てて
その悲しみを感じて
私もいっしょに
泣きました。
(;_;)
亡くなった
両親も
子どもも
親友も
私を見守ってくれるのを
感じます。
住職さん、これって
こう考えて
いいのですか?
そうですよ。
いのちは、
すべてつながっています。
亡くなっても
大きな仏さまのいのちの中で
いっしょに
手を取り合っていますから。
私、流れた子ども達に
自分が仏さまのところで
再びあえたとき
「お母さん、がんばったよ!」って
いえるように
頑張って生きていきます。
住職さんの手のぬくもり
一生、忘れません。
もう自分から
死のうとは
おもいません。
涙、溢れました。。。。
そうですよ。
(*^_^*)
今、生きている
生かされているということを
よろこびましょう!
いのちの讃歌
歌いましょう!と
言いましたら、
歌には
声には
人を元気にする
力がある!
☆
私、前に住職さんが
法要で
歌った
カーロミオベン
覚えています。
その時も
勇気をもらって
ガンバロウとおもいました。
4年前の
お盆の法要で
歌ったカーロミオベンを
覚えて下さって
それが
その時も
自殺しようとしていた方を
おもいとどめていたことを
お聞きして
何か
とても
うれしかったです。
そして
玄関を出たとき
今日、おつとめした
亡き
ご両親の笑顔が浮かびました。
私たちのメッセージを
伝えてくれて
ありがとう!と
聞こえたような気がしました。
亡き人とも
今、生きている人とも
手を取り合って
いのちを謳歌する。
これが
人間として
生きている輝きです。
アナタは、今、
いのち輝かせていますか?
アナタのいのちは
大自然の根源から
連綿と続く
最先端。
それに
フタをして
「自分なんて!」って
思っていると
もったいないですよ。
アナタの大切な人は
アナタに逢えて
幸せだとお礼を言っているのですから。
カーロミオベン
啓空が勝手に
日本語にした歌詞を
再度、紹介します。
(*^_^*)
「Caro mio ben」
ジョルダーニ作曲
日本語作詞 啓空
Caro mio ben
愛しい君
出会えて
よかった
あなたの笑顔は
もう見えない
手をつなぎ
歩いた
かけがえのない日び
こころに
いつまでも
忘れない
Caro mio ben
愛しい君
出逢えて
幸せ
Caro mio ben
愛しい君
であえて
ありがとう
2011年8月お盆法要資料より
☆☆
今週もお元気で。
ご機嫌よう!
けいくう
☆☆
なつかしさ
皆
はらからの
切れぬ縁
ひとりのみ親
おやとせる人
光さし
見なおす意味に
わく歓喜
打ち勝つ不幸ぞ
幸福のもと
(田中木叉上人道詠)
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写経会、私も、2度参加させていただきました
♪私は、もちろん書けないのですが
「それでも、良いですよ」と、快くいつも迎えてくださいます。
書けない私が、そこに参加してどおするかと言いますと
みなさんが、書いている間
と~っても、心地よい波動に、その場が満たされて
瞑想にバッチリなんですよ


炭の香りと
筆のすべるかすかな音。。。
これがですね
と~っても、心地よいんですよ
♪モヤモヤした心の掃除にバッチリです

それにですね
私も、半分夢心地で、みなさんと一緒に書いている気にもなったりもします
♪「写経会」 お勧めですよ

お近くのお寺でされているところを、探されてみてはいかがでしょうか?

今日も、ありがとうございました
