とうとう、台風こちらにもやってきつつあります。暴風域入ったみたいです。
明日、仕事行けるだろうか。普通に行っても約1時間かかるのに。
とりあえず、早起きしないとなあ。
こんな日なので、早く帰るのが本来ですが、
今日は、昨日生徒が亡くなったので、前夜祭
(キリスト教の通夜にあたります)に行ってきました。
私自身は、担任ではなく副担として、社会を教えていました。今年からなので、関わった時間は短いものでしたけど。授業自体は移植があったので私は3回だけでしたね。
どちらかというと、社会は得意ではなかったみたいでしたが、持っている教養は深いものがありました。私が知らなくて教えてもらうこともありました。質問も、なかなか唸る質問をしてくるし。
彼女自身、ネイティブアメリカンの血をひき、幼い時期をアメリカで過ごしたこともあり、他の生徒とは違う感性を持っていましたね。成績がいい子は他にもいるけど、実体験に基づいて、考えたことを話すというのは、私が社会を教えた生徒の中で、一番でした。
ただ、混血というのは移植のドナーを見つけるのも、大変だそうで、見つかるだけでも奇跡だったようです。移植自体も難しいもので。
結局のところ、移植後一度も授業ができませんでした。
終末期をターミナルとも言いますが、このときに何ができるのかは難しいです。
ある意味、家族の時間とも言える時期、家族の領域にどこまで入り、関わるべきなのか。
なんだかんだいっても私たちは他人なんやなと思います。入る情報も限られます。
でも、他人なりにできることがあるはずで。
その何かを考えることがこの仕事の宿命かもしれませんね。
この仕事始めて、子供を見送るのは6人目になります。
これだけは、慣れることはないですね。
やっぱり、こたえますね。辛いです。
今年亡くした子全て関わりがあるだけに、去年よりもこたえます。
式自体は親しい人だけで、ということでしたが、たくさんの人が集まりました。
私たちは、今回授業に行った人と世話係(主任の先生)、校長が参列。
とりあえず、通知簿も無事渡しました。
保護者とも話す時間を持て、私にも、声をかけてもらいました。私の授業が楽しかったと話していたこと、私のこと好きなタイプやと言っていたこと。それ聞いたら、涙がとまりませんでした。
私自身、キリスト教のお葬式は初めてでした。うまく、説明できませんが、仏教とは死に対して考えが異なります。そのせいか、いくらか明るい雰囲気でした。讃美歌を何曲か歌い、牧師さんの話を聞き、献花を行いました。献花の間は、スライドショーで写真を見ました。それも、なんだかたまらなかった。
彼女が日本に帰国してから、ずっとこの教会に通っていたようで、牧師さんも小さい頃の話もまじえながら、話をされてました。ときに笑いを交えながら。だから、なんだか式全体があたたかいものに思えました。
仏教のお葬式だと、縁もゆかりもないお坊さんの読経とお話が多いので対照的でした。仏教も昔はそうだったかもしれませんが。
後、印象的だったのが、同じように小児がんで子どもを亡くしたお母さんたちが多く駆けつけ、お手伝いされていたこと。
私たちにもゆかりのあるお母さんたちも、何人かいました。
いい、式でしたね。
まとまりがありませんが、こういうことが、ありました。