向心力Dを見るときに大切なのは、
向心力Dはどの宮から発射されているのか
対宮のどの星曜に付くのか
を丁寧に見ることです。
なぜなら向心力Dとは、単なる苦しみや試練ではなく、
魂を本来のテーマへ戻すための導き
だからです。
文昌・文曲への向心力Dは特別
私はとくに、先天星である文昌や文曲に向心力Dが付く命盤を重要視しています。
文昌は意識。
文曲は法身。
言い換えるなら、
文昌は「DoingのOS」、
文曲は「BeingのOS」です。
とりわけ文曲は、
「存在そのもの」
「本来の自分」
を象徴する星です。
そのため文曲にDが付くということは、
魂が今世で執着を深く体験し、
その正体を見抜こうとしていることを意味します。
私の命盤の場合
私の命盤では、
己亥宮の命宮から遷移宮の文曲へ向心力Dが入っています。
さらにその文曲Dは、
田宅宮の廉貞Dと連動しています。
つまり、外の世界(遷移宮)で起きる出来事は、
最終的に田宅宮のテーマへ導かれるのです。
田宅宮は、
家や家族だけではありません。
心の居場所。
安心の土台。
帰属意識。
自分が安心できる世界観。
そうしたものを象徴しています。
そして廉貞Dは、
信念や価値観への執着です。
すると私の場合、
人生で起きる様々な出来事は、
最終的に
「私は何によって安心しようとしているのか」
という問いへ戻されます。
向心力Dは逃げられない
離心力Dであれば、
執着を外へ発散することもできます。
しかし向心力Dは違います。
向心力Dは、
何度でも執着の根源へ戻されるのです。
だからこそ苦しい。
しかし同時に、
だからこそ魂は成長します。
有D必有C
欽天門には
「有D必有C」
という大切な考え方があります。
Dがあるところには、
必ずそれを超えるためのCが用意されています。
私の場合、
命宮には天梁→C。
夫妻宮には文昌Cと天機B→C。
疾厄宮には武曲→C。
さらに、来因宮は丙干です。
この配置を見ると、
私の命盤は
「執着に苦しむ命盤」
というより、
「執着を智慧へ変換する命盤」
のように感じます。
文曲Dで深く悩むからこそ、
天梁Cの智慧が育つ。
文曲Dで揺さぶられるからこそ、
文昌Cの理解が深まる。
文曲Dによって苦しむからこそ、
来因宮の丙干が発動し、
妄想や不安を智慧へと昇華していく。
魂の教師を育てる化忌
私は最近、
この文曲への向心力Dは、
一般的な意味での「苦労する化忌」ではないように感じています。
むしろ、
執着の構造そのものを学び、解明するための化忌。
そしてその体験を、
生徒や後進へ伝えていくための化忌。
そのようにも見えるのです。
子女宮は、
子供だけでなく、
生徒や弟子、後進育成も意味します。
もしそうであるなら、
私が体験してきた執着や苦悩そのものが、
未来の誰かを導く教材になります。
だから私は、
文曲への向心力Dを
「苦しみが強い配置」
とは考えていません。
むしろ、
魂が執着の本質を徹底的に学び、その智慧を人へ伝えるために選んできた学びの道。
そのように受け取っています。
そして向心力Dとは、
私たちを苦しめるためではなく、
本来の自分へ還るために働く、
宇宙からの深い導きなのだと思うのです。
占風鐸・オンラインスクール
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主宰 田中宏明
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