4段に並べられた

 

このたくさんの紙の短冊…

 

 

金敷駸房『槐多の瀧』2014年

 

 

 

よーく見てみると、

下部が輪のようになって繋がっているのですが、

見えますでしょうか?

 

金敷駸房『村山槐多『槐多の歌へる』部分

 

 

このように、長い短冊のような紙の全てに文字が。

 

 

こちらの作品は、

たくさんの短冊によってできているようでいて、

じつは一枚の紙から出来ています

 

 

一枚約5メートルも続く文字。

 

 

そこに書かれているのは、

明治の日本洋画家である村山槐多の詩集、

『槐多の歌へる』を綴った作品だそうです。

 

 

序盤から、圧倒される文字の作品が展示されているのは、

 

 

現在、東京都美術館で開催中の展示会、

「見る、知る、感じる──現代の書」の作品です。

 

 

 

今回は、こちらの『現代の書』を観て来た感想を

書きたいと思います。

 

 

普段、文字を見る機会って多いと思うんです。

 

こうやってブログを読むのもそうだけど、

ネットニュースだったりメールだったり、LINEなど。

 

 

でも、なかなか手書き文字を見る機会は、

以前より減ったんじゃないかなって思います。

 

私の記憶で、一番手書き文字を読んでいた時期は、

学生の時に、先生が黒板やホワイトボードに書く文字。

 

 

これ以降は、全くと言っていいほど、

ほとんど見なくなった気がします。

 

 

そんな時代だからこそ??

 

こういった、書というカタチ

誰かの手から生み出された文字を見ることが、

とても大事に思いました。

 

 

菊山武士『あめの記憶』2017年

 

 

菊山武士さんの『あめの記憶』は、

たくさんの「あめ」の集合体で

様々に作られた文字のよって出来たカタチ。

 

 

よく見ると「あめ」が様々に組み合わさっているの、

わかりますかね?

 

 

こんな正方形の半紙に書かれた「あめ」が、

たくさんでした。

 

同じように「あめ」が組み合わさっているだけなのに、

「このカタチより、こっちの方が好きだな」と思うのも、

なんだか不思議で。

 

 

人によって、心惹かれる“あめのカタチ”は違うんでしょうね。

 

 

なかには、こんな「あめ」も。

 

 

文字って、書き手の気持ちや表情が見えてきそうですよね。

 

こういった活字と違って

その時その時で、

出来たカタチだったり、はらいや、

力を加えた部分などが違うから。

 

顔は見えないけど、

その時の感情を文字に缶詰にされているような。

 

 

書道家さんたちは、プロなので、

そこまで気持ちのブレなんかには左右されないかとは思いますが。

そんな事を思った展示会でした。

 

 

明日も同じ作品が書きたかったとしても、

墨の濃度や紙質、気候や湿度の条件を揃えるのは

難しいそうで…

 

そういうお話を聞いた後に見た作品は、

やはりその一瞬を閉じ込めた缶詰感を

より一層強く感じました。

 

「書」って不思議ですよね。

 

戻ることも、かき消すことも、上塗りすることもできない。

 

うーん、本当に奥深いなんて一言では言えない、

もっと裏側には精神性のあるものなのでしょうね。

 

 

つらつらと長くなってしまいました!

 

こちらの展覧会は、2019年1月6日まで!!

年明けの「書き初め」前に観に行くと、

自分らしい良い字が書けるかもしれませんよ♡笑

 

 

それでは今日は、このへんで♡