歳時記余話 3月24日

 

 

問い

恋人、夫婦、家族の愛の力とは?

 

 

歳時記 

3月24日 、春分/雀始巣(しゅんぶん/すずめはじめてすくう)。雀たちが繁殖期を迎え、雄と雌の「つがい」となって、協力して巣を作りはじめる頃。

 

 

答え 吉本隆明

恋人、夫婦、家族の永遠の愛の力こそ、国家や社会という共同幻想を打ち破って家族を守る真の力である。国家の目よりも、世間の目よりも、目の前の一人の愛のまなざしのほうが大切なのだ。

 

 

 

実話のリアリティ

国家の「正論」、社会の「正論」が、あなたのいちばん大切な人を傷つけるとき、あなたはどうするか。吉本隆明は、戦時中の「お国のために」という崇高な「正論」が多くの家族の愛を引き裂いていく光景を少年の目で見ていた。しかし冗談じゃない。誰もが反対したこの戦争に国家と国民を無理やり引きずり込んだのは、米英グローバリストの手先のような近衛内閣じゃないか。こんな裏切者たちが支配する国家から家族を守るにはどうしたらよいのか。吉本が導き出したのは、国家(共同幻想)に対抗しうるのは夫婦愛(対幻想)だけであるという真理であった。(吉本隆明『共同幻想論』、同『戦後体験』)

 

戦国時代、関ヶ原の合戦の直前、国家(豊臣・石田政権)は大名たちの大阪屋敷の妻子を人質にしようとした。しかし細川ガラシャは、屋敷を国家の軍兵に囲まれたとき、自ら命を絶つ道を選んだ。そこには、夫婦のあいだで交わされた「名誉を汚されるくらいなら共に死ぬ」という約束があった。彼女はその夫との約束を、国家の命令よりも重く見たのである。この国家のアルゴリズムの常識を無視した一人の女性の決断は、多くの武将たちの心に国家への強力な反感を呼び起こし、直後の関ケ原の合戦で国家を完膚なき敗北に追い込んだ。吉本流に言えば、夫婦という対幻想が、国家という共同幻想を突き崩した瞬間であった。(吉本隆明『共同幻想論』、歴史的事実としての細川ガラシャの自刃)

 

夫婦や恋人、親子といった二者関係(対幻想)は、国家や社会といった大集団(共同幻想)とはまったく別の論理で動いている。国家は「正義」「効率」「公平」といったドライで乾いた言葉で人々を動員し、裁く。しかし対幻想は「あなたがあなたであるからこそ愛する」という、きわめてエゴイスティックで湿った感情によって結ばれる。ここには多数決も合理性も入り込めない。(吉本隆明『共同幻想論』、同『母性論』)

 

吉本は、この密室の愛こそが、国家や世間という冷酷な共同幻想の怪物に対する、唯一の防波堤になりうると考えた。社会がどれほど「正義」を振りかざしてあなたを追い詰めても、家庭や恋人とのあいだに交わされる「非論理的な絆」があるかぎり、人間は魂の最後の拠点を守り抜くことができる。私たちは、国家の目よりも、世間の目よりも、目の前の一人の愛のまなざしを重く見るべきなのだ。吉本の対幻想とは、「世界じゅうが敵になっても、二人の愛だけは永遠である」という約束のことである。そしてその約束のまなざしには、共同幻想の虚妄を暴き、人間を人間として踏みとどまらせる「真実の力」が宿るのである。(吉本隆明共同幻想論』(結び)、同『親鸞』)

 

(続く)

 

 

 

 

現代AI社会への応用

現代、私たちはAIの「アルゴリズム」という名の新たな共同幻想に支配されている。AIが導き出す「最適解」やSNSの「いいね」という数字は、国家の号令と同じく、冷徹に私たちを序列化し、正論で追い詰める。 しかしAIには決して理解できない聖域が、私たちにはある。それが「この人のためなら、損をしてもいい」という対幻想の非合理性である。データ化できない一対一の体温や、二人だけの秘密の約束。このAIから見れば「効率の悪い愛の決断」こそが、全自動化される社会の中で、私たちが「部品」ではなく「人間」であり続けるための力である。

 

 

哲学の核心

吉本哲学の核心は、「幻想には幻想をもって対抗せよ」という点にある。国家という巨大な「共同幻想」に、裸の個人が立ち向かうのはあまりに無力だ。だからこそ、人間は「対幻想(愛)」というもう一つの強固な幻想を築くことで、初めて国家と対等に渡り合い、その無謀な浸食を突き崩すことができる。