歳時記余話 3月18日

 

 

問い

人々を支配している国家とは何か?

 

 

答え 吉本隆明

私たちは、国家というものは「物理的にそびえ立つ巨大な壁」であると思い込んでいる。しかしそれは幻想にすぎない。国家とは、私たちが私たちの頭の中に作り上げた「共同の幻想」である。(『共同幻想論』序説 )

 

 

 

実話のリアリティ

1950年代、戦後の混迷の中で吉本が直視したのは、昨日まで天皇のために死ぬと言っていた民衆が、今日はアメリカの模倣をして民主主義を叫ぶという、まったく恥知らずな「転向」の光景であった。人々はなぜ、これほどまでに脆く、かつ集団で同じ方向を向くのか。吉本は、柳田國男の『遠野物語』などの民俗学に分け入り、人間の心の地層を掘り下げていった。そしてわかったのが、2人(対幻想)までは「愛」で解決できても、3人以上の人間が集まれば、そこに個人の意志を超えた「共同幻想」が立ち上がるという事実であった。私たちは独りでいることの不安に耐えられず、目に見えぬ「大きな空気」に身を委ね、それを正義と呼び、崇め、安心を得ている。究極的に国家も同じなのだ。国家は暴力装置だと言われるが、しかしその本質は、私たちの心の寂しさや不安が作り出した、心の安定装置の「共同幻想」なのである。(出典:『転向論』、『共同幻想論』「憑依論」「巫女論」)

 

しかし、そうして誕生した国家(共同幻想)は、人々が「国家がある」「自分たちは国民である」と信じることによって支配力を持つ。そしてひとたびその力が動き出せば独自の論理で走り出し、国民のささやかな生活や愛(家族)を平然と踏み潰すようになる。怪物として独り歩きしていく。もはや国家の構成員である国民が「おかしい」と思っても止めることができない。吉本は、この共同幻想の原初的な姿を、未開社会における「タブー(禁制)」に見出した。現代のSNSでの炎上や、集団の空気に縛られる私たちの苦しみも、この「タブー」の変奏であり、「共同幻想」が自己を抑圧しようとする「逆立」の力である。 (出典:『共同幻想論』「禁制論」および構造図、先崎彰容『100分de名著:吉本隆明 共同幻想論』)

 

どこの国も戦時には常に「家族の愛」と「国家の論理」が衝突する。息子を死なせたくない、夫と生きたいという願いは、人間として最も根源的な「対幻想」である。しかし国家という「共同幻想」がひとたび「聖戦」という正義を掲げると、その家族の愛は「非国民」「わがまま」として否定される。「お国のために死ぬことこそが最高の幸福である」という集団の論理が、個人の生命の重みを平然と踏み潰していく。共同幻想が自己に対して「逆立」した極限の姿だ。それは日本でも、現在のウクライナでもイランでも同じである。だからこそ名将と言われる者は、孫子も、孔明も、「戦わずして勝つ」戦略を必死に模索したのだ。 (出典:『共同幻想論』「逆立」の概念、吉本隆明『戦後世代の政治思想』、『孫子』謀攻篇)

 

現代の日本も、1945年の敗戦から続くアメリカ支配という「共同幻想」によって国家の富がアメリカの金融資本にむさぼられ続けている。その派生で、プライマリーバランスのために高い税金が必要だという財務省の「共同幻想」によって国家の繁栄も個人の豊かさも踏みにじられている。同じく国民も、高い税金、NHKなどの無駄な公共料金、それらに同意せざるを得ない同調圧力、反対する者を総攻撃する空気、SNSの炎上、コロナ禍の自粛警察など、「共同幻想」という怪物に支配されている。(出典:『共同幻想論』結び、先崎彰容『100分de名著:吉本隆明 共同幻想論』)

 

国家という、人々を支配し、犠牲にしている共同幻想の脅威から、私たちは如何にして「個人」を守るのか。

 

(続く)

 

 

 

 

現代AI社会への応用

AIが生成するアルゴリズムは、現代における新たな「共同幻想」の装置である。私たちがSNSの推薦機能や評価システムを「正しい」と信じ込むことで、AIは私たちの思考を均一化し、巨大な同調圧力を生み出していく。しかし、AIには「自己幻想(個の孤独)」も「対幻想(二人だけの愛)」も存在しない。 吉本が明らかにしたのは、どんなに強力な集団の論理(共同幻想)に囲まれても、数値化できない個人の内面を守り抜くことの尊さである。AIという「効率の幻想」が加速する時代だからこそ、私たちは計算不能な「個の尊厳」を最後の防波堤としなければならない。(『アルトマン・インタビュー:AIと倫理』 /『共同幻想論』 )

 

 

 

 

 

(次回は3月20です)