歳時記余話
問い
春の夜のやわらかにして明けゆくは?
歳時記 2月19日
雨水(うすい)の土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)。雪が雨に変わり、氷が溶けて水となる、春の兆しが確かなものになる頃。寒さで強張っていた万物が、やわらかな雨を含んで解き放たれていく情景は、春の日差しの中で子どもたちと遊ぶ良寛の情景そのものである。
答え(名言)
春の夜のやわらかにして明けゆくは 人の心のうれしきに似たり (良寛)
実話の物語
ある春のこと、「五合庵」の床下から竹の子が生えてきた。良寛は竹の子が床板に当たるのを不憫に思い、囲炉裏の火で床板に穴を開けてやろうとしたところ、不注意から庵を丸ごと焼きそうになった。庵が焼けてしまえば寝るところもなくなるわけだが、良寛は少しも気にせず、「竹の子の命が助かってよかった」と、底抜けの明るさで喜んでいたと伝えられる。ある時、子供たちと隠れん坊をしていて隠れたまま夜になり、子どもたちは帰ってしまったが、良寛は隠れたまま眠ってしまった。翌朝、農夫に発見されて目覚めたときも、「しーっ、静かに、子供たちに見つかってしまう」とささやいたという。良寛は変人なのではない。自他の境界を消し去り、万物と「やわらかな心」で交わる良寛の「みごとな生き方」なのである 。良寛は「江戸の万葉歌人」とも呼ばれ、万葉集に息づく古代の日本人本来の純粋なこころを生涯かけて具現した。 竹の子や子どもの手まりを愛でるその眼差しには、いにしえの日本人のこころのなつかしさが宿っていたと思われる。(『良寛名歌鑑賞』/『近世禅林逸話集』)
江戸時代、越後国(新潟県)。良寛は、名主の長男として生まれたが、その富める地位を捨てて出家した。備中玉島(岡山県)の円通寺で12年間修行し、諸国を行脚した後、故郷の国上山(くがみやま)の五合庵に隠棲した。当時、農村は度重なる飢饉と重税に苦しみ、人々の心は荒廃していた。良寛は、托鉢で飢えを凌ぐ貧しい暮らしをしながら、ひたすらに純粋な「真心」をたいせつにして生きた 。(『良寛和尚遺稿』/『良寛禅師伝記』)
1831年、良寛の辞世の句は「形見とて 何残すべき 春は花 山ほととぎす 秋はもみじ葉」であった。良寛は優れた和歌や漢詩を数多く残し、その書は神品とまで言われた。その真髄である「形見に残せるのは自然の美しさ豊かさのみという、無一物の境地」こそが、殺伐とした時代を生きる人々の心を、春の夜がやわらかにして明けゆくように、うれしく包み込んだのであった。(『良寛全集』)
現代AI社会への応用
良寛の「やわらかな心」は、AI時代の「効率」の対極にある「無心」の尊さを教えてくれる。AIが生活を支えるようになるからこそ(『OpenAI 創設者声明』)、良寛のように「ただ生きることの喜び」を感じる時間を大切にしなければならないだろう。
哲学の核心
真理は、私心を捨て去り、万物を慈しむ無垢な心に宿る。良寛は名誉や家督という俗世の利益やメリットを捨て去ることで、やわらかな春の夜明けのような、人の心のうれしき境地に至った。(良寛『沙門良寛詩集』)
人物の概略
良寛(りょうかん)。江戸時代後期の禅僧、詩人、歌人。特定の寺を持たず、生涯を清貧と「無垢の心」で貫いた。優れた和歌、漢詩、書を多数残した。万葉集の第一人者でもある。子供や自然を愛した姿は、時代を超えて多くの日本人の心の拠り所となっている 。1758年11月2日〜1831年2月18日。主著:『良寛和尚遺稿』、『草庵集』
(次回は2月23日です)
