①タイトル

1月25日 松下幸之助 「自ら断崖絶壁の淵に立て」

 


② 松下幸之助の原文と直訳

万策尽きたと思うな。自ら断崖絶壁の淵に立て。その時はじめて新たなる風が必ず吹く。

 


③ 哲学

松下幸之助が語る「断崖絶壁」とは、追い詰められることではありません。自ら退路を断ち、責任を引き受ける覚悟のことです。人は少しでも選択の余地を残す限り、安易な選択に逃げがちです。しかし、覚悟を決めたとき、知恵と力は思いもよらぬ形で湧き上がる。
幸之助は、経営とは技術や計算ではなく、人間の決断力の問題だと見抜いていました。松下は、1929年に端を発した世界恐慌、1945年の敗戦後の混乱、1973年のオイルショックといった幾度もの危機を、この姿勢で乗り越えていったのです。

 


④ 実話物語

1929年、アメリカ・ニューヨークで始まった世界恐慌は、瞬く間に世界を覆った。株価は暴落し、貿易は停滞し、日本でも企業倒産が相次ぐ。商都の大阪も例外ではなく、街には失業者があふれ、「解雇」「倒産」という言葉が日常語になっていた。
(『日本経済史(昭和前期)』各種統計資料)

その嵐のただ中で、松下電器も追い詰められていた。売上は激減し、倉庫には売れ残った製品が積み上がる。資金繰りは限界に近づき、幹部たちは夜を徹して対策を検討し議論した。誰もが口に出さずとも、「人を減らすしかない」という結論が迫っていた。
(松下幸之助『私の行き方 考え方』/松下電器社史)

1932年のある日、松下電器の幹部会の席、幸之助はずっと沈黙していた。社員とその家族の顔が、次々に脳裏をよぎる。解雇すれば会社は助かるかもしれない。だがそれは、自分が信じてきた経営ではなかった。
(松下幸之助『道をひらく』関連講話/PHP研究所編年史料)

誰もが言葉がなくなり、沈黙すると、幸之助は静かに語り出した。「生産は半分にする。しかし一人も解雇せん」。会議室は凍りついた。この不況下で、生産が半分で雇用維持は無謀だ。会社が先に倒れるという恐怖が、誰の胸にもあった。だが幸之助は続けた。「余った時間は、全員で売りに出よう。倉庫にあるものは、必ず必要とする人がいる」。
(松下幸之助『経営心得帖』/松下電器社史)

翌日から、工員も事務員も街へ出た。頭を下げ、足を使い、必死に商品を売った。最初は苦労する。しかし少しずつ売れ始めた。少しずつ在庫が減り、資金が回り始める。数か月後、松下電器は不況を乗り切り、逆に体力をつけていた。万策尽きたとき、幸之助は退路を断った。自ら断崖絶壁の淵に立ち、覚悟を決めたとき、新しい風が吹いたのである。
(松下幸之助『不況に打ち勝つ経営』/PHP研究所編『松下幸之助発言集』)

 


現代AI社会への応用

AI時代においても、「最後は人が決める」という現実は変わりません。たとえば イーロン・マスクは、失敗が続いたロケット開発で撤退寸前まで追い込まれながら、自ら全責任を引き受けて継続を選びました。近年の欧米では、AI政策は専門家任せではなく、最終判断を下す覚悟が指導者に問われています。

またユーザーの立場であっても、AIを使うとは、AIに判断を委ねることではありません。断崖に立つ勇気を持つ人間を、AIが支える――この関係がこれからの共創の基本です。

 


人物紹介

松下幸之助(1894年11月27日~1989年4月27日)。松下電器産業(現パナソニック)創業者。経営を通して人間の在り方を問い続け、「経営の神様」と称された。

 


⑦ 歳時記 

水沢腹堅(さわみずこおりつめる)。沢の水が凍り、動きを止める頃。すべてが閉ざされたように見える冬の沢の底で、次の春に向けた力が静かに蓄えられています。

 


 

今日のヒント

逃げ道を断ったとき、知恵は初めて動き出します。