① タイトル

1月23日 児玉源太郎(こだま げんたろう) 「国を興す根本は教育にあり。教育は軍事に優り、軍事は政治に優る」

 


原文・現代語訳

国を興す根本は教育にあり。教育は軍事に優り、軍事は政治に優る。

(児玉源太郎)

 


哲学本文(核心)

児玉源太郎のこの言葉は、軍人である児玉が軍事を否定した逆説ではありません。

国家には、政治があり、軍事があり、そして教育があります。しかし児玉は、その「順序」を問い直しました。軍事は国家を守るためにある。政治は国家を運営するためにある。だが、教育は国家そのものを形づくる。教育が貧しければ、政治は荒れ、軍事は暴走する。教育が育てば、政治は安定し、軍事は最後の手段となる。

児玉の思想は、机上の理想ではありません。現場で、流血と隣り合わせの選択を迫られた末に、たどり着いた結論でした。

 


実話物語

1898年、台湾。

清国から日本へ割譲されたばかりのこの島は、まだ銃声の止まぬ土地だった。新たな統治者となった日本への抵抗は各地で続いた。とくに中央山脈一帯――霧社(むしゃ)、埔里(ほり)、大嵙崁(だいかくかん)では、原住民による日本の民間人に対する襲撃が相次いでいた。
(台湾総督府公文書)。

日本本国では、山県有朋を中心とする陸軍中枢部から、乃木希典のような名誉の陸軍大将まで、みな武力制圧を主張していた。

新たに台湾総督として着任した児玉源太郎も、日露戦争を勝利に導いた陸軍大将である。武力の現実を誰よりも熟知していた。武力衝突になれば、お互いの村は焼かれ、双方とも多くの命を失う。児玉が台湾の民政長官に任命したのは、軍人ではなく、内務省の官僚・後藤新平だった。
(1898年、台湾総督府)。

後藤は現地を歩いて人々の顔を見た。後藤の報告は「まず学校です。」「次に衛生です。」「人が生きていける仕組みを作らねば、支配は憎悪しか生みません」。最大の難関は山地にあった。霧社を拠点とするタイヤル族の首長たちは、日本の統治を拒み続けていた。誇りの問題であった。

後藤の報告を聞いた児玉は、首長たちを招いた。銃を持たず、通訳を介し、同じ高さの座に着く。児玉が出した条件は明確だった。学校を建てる。子どもたちは学ぶ。土地と生活は守る。しかし無差別の襲撃は認めない。

首長たちは互いの顔を見る。これに従えば我々は力を失うかもしれない。しかし拒めば戦になる。一人の首長が口を開いた。「子どもが学べば、この山は生き残る」。これで決まった。やがて反乱は激減し、島は平和になっていった。学校が建ち、医療やインフラも整備されていった。教育に対する意識が島を変えた。

(後藤新平『自治三訣』、伊藤之雄『児玉源太郎』)

 


現代AI社会への応用

AI時代の国家や社会でも、「強さ」はしばしば技術力や軍事力で測られます。しかし、児玉源太郎の経験が示すのは別の真理です。人を育てなければ、技術は暴走し、力は恐怖を生む。

AIをどう使うかを決めるのも、最終的に責任を負うのも、教育によって育てられた人間です。教育こそが、AI社会における最大の安全保障と言えるでしょう。

 


人物紹介

児玉源太郎(1852年4月14日~1906年7月23日)、日露戦争の日本軍総参謀長として、遼陽会戦、旅順攻囲戦、奉天会戦などを勝利に導く。また台湾総督として後藤新平を起用し、教育・衛生・行政改革を推進した。将来の総理大臣と目されたが、わずか54歳で急逝した。

 


歳時記

今日の歳時記の言葉はお休みです。

 


今日のヒント

強さを支える土台は、学ぶ姿勢にあります。