①1月21日 空海(2) 「自分に適していることに能力を使うなら、物事は極めてうまくゆく。」

 


② 原文・直訳

もし自分に適していることにその能力を使うなら、物事は極めてうまくゆく。しかし、自分に向いていない物事に能力を使うなら、労多く、益は少ないだろう。(空海)

 


哲学

人はしばしば、「できるかどうか」「評価されるかどうか」を基準に進路を選びます。しかし空海の視野にあったのはもっと深い次元でした。「自分の能力は、自分の魂が生きること使われているか」ということです。

自分の魂が生きないことに能力を使うと、成果以上に疲弊します。一方、自分の魂が生きることなら、能力は自然に働き、物事は「無理なく」進み始めます。魂と力の向きが一致している状態です。

しかし空海が語る「自分に適していること」「魂が生きること」とは、楽な道を選ぶことではありません。たいへんな困難や苦労がある道であっても、魂が生きる道なら乗り越えられるのです。

 


実話物語

奈良時代末。讃岐国(現在の香川県)。
空海は、地方豪族の一族に生まれた。学才に恵まれ、一族の期待を一身に背負って育った青年である。やがて都へ上り、最高学府・大学寮に入った。儒学を学び、官僚として国家に仕える――それは、才能ある若者に用意された最も堅実で、最も誇りある進路だった。叔父の阿刀大足(あとのおおたり)をはじめ一族も、周囲も、誰もその道を疑わなかった。
(参考文献:佐伯有清『空海』吉川弘文館、1975年)

しかし、空海自身には、年を重ねるほどに胸の奥に沈殿していく違和感があった。その道は確かに国家を動かす力になる。しかし人が生きる苦しみ、老い、病、死の前では、あまりにも無力に思えた。自分はこのために生まれてきたのか。空海は、大学寮に籍を置きながら、心はすでに、そこに収まらなくなっていた。
(参考文献:宮坂宥勝『空海の生涯と思想』春秋社、1983年)

そしてあるとき、空海は、制度の中で悩み続けている自分自身に気づく。ここにとどまることこそ、自分の能力を浪費することになる。

空海は、大学寮を去った。周囲の罵声や一族の沈黙を背に、ひとり、吉野の険しき峰、大瀧嶽(おおたきのたけ)の断崖へと足を踏み入れる。そこには飢えと孤独、そして死の気配が漂っていた。
(参考文献:佐伯有清『空海』吉川弘文館、1975年)

しかし土佐の室戸岬に辿り着いたとき、風景は一変した。眼前に広がるのは、境界のない蒼き空と、怒涛の紺碧の海である。明星が口に飛び込むという神秘体験とともに、空海は全身で宇宙の拍動を感じ取る。凍てつく波飛沫を浴び、岩窟で独り座すとき、「生きている」という強烈な手応えが空海を貫いた。能力とは、魂の居場所を知るための力なのだ。
(参考文献:『三教指帰』、宮坂宥勝『空海の生涯と思想』春秋社、1983年)

もし自分に適していることにその能力を使うなら、物事は極めてうまくゆく。しかし、自分に向いていない物事に能力を使うなら、労多く、益は少ないだろう。
(出典:『三教指帰』)

 


現代AI社会への応用

現代社会では、能力を「市場価値」や「評価」で測りがちです。向いているかどうかより、求められているかどうか。評価されるかどうか。困難が少ないかどうか。しかしその結果、多くの人が疲れ切っています。

空海の言葉は、その在り方に問いを投げかけます。その努力は、本当に自分の魂が求めていることに使われているだろうか。

AIが人間の能力を補助し、社会の仕組みが急速に変わる時代だからこそ、人間自身が「何に力を使う存在なのか」を見失ってはなりません。徳のある文明とは、人がそれぞれの適性と使命に立ち返り、互いの力を尊重し合う文明です。空海の言葉はその土台を照らしています。

 


偉人紹介

空海(774–835)
平安時代初期の僧。
真言密教を日本に伝え、高野山金剛峯寺を開きました。
思想家・宗教者にとどまらず、書、詩文、土木、教育など多方面で卓越した業績を残しました。

 


歳時記

款冬華(ふきのはなさく)

厳寒の中、蕗の花が地表に姿を現す頃です。見えぬところで育つ命が、やがて春を招くことを静かに告げています。

 


今日のヒント

自分の魂が生きることをやってみます。