(インド映画RRRより)
1)ご心配ありがとうございました
2)キックボクシングから家庭菜園へ
3)倒すために流す汗・育てるために流す汗
1)ご心配ありがとうございました
この2カ月で2回の手術をしたことを話の流れでつい書いてしまい、多くの方からご心配や励ましをいただいた。ありがとうございました。本当はこの半年で3回の手術を受けたのだが、あまり心配させてはいけないので、遠慮して2回と書いた次第だった(笑) というと、よけい心配をおかけするかもしれないので、簡単に経緯を白状します。
1回目の手術の内容は、山登りしていて足を滑らせて膝の靭帯を切ってしまったのだ。これは某大学病院の有名な教授が手術を担当してくれて、見事に成功した。素晴らしいという形容語がぴったりの手術だったと思う。現在はまだリハビリ中だが、もう普通に歩けるまで回復している。
問題は次の手術だ。これは、最初は簡単な日帰りのポリープ切除手術ということだった。かかりつけの医者の紹介で、腕がいいという若い医者に担当してもらった。膝のリハビリ中ではあったが、日帰りでよいので気軽だ。ところがこの手術の途中で不手際があり、手術も3時間以上に及び、けっきょく手術は中断となった。失敗である。しかも3日ほど入院した。
その後、医者同士のネットワークで話し合われて「盲腸ガン」の恐れがあるということになって、がんセンターに回された。十分な検査のうえ、前回の手術の後処置および盲腸がんの予防手術として、盲腸の前後20㎝を切除した。手術はきれいに成功したが、その結果、がんはステージ0であったことが判明した。まあ手術する必要もなかったという、笑い話のようなことだ。ただ、がんセンターでは著名な外科部長が手術を担当してくれて、看護士たちの献身的な看護もあって、快適な病院ライフだった。3週間の入院予定も2週間足らずで退院できた。ステージ0とはいっても大きなポリープができていたことは事実なので、これで今後がんになる恐れもなくなった。みなさんにはご心配ありがとうございました。
2)キックボクシングから家庭菜園へ
この5年ほど、週末になると都心を離れて、北関東の地方都市に設けた隠れ家で週末を過ごすのが習慣になっていた。そこから長瀞の山々や御嶽山、榛名山などに登るのを楽しみにしていたわけだ。しかしこのところ手術が重なったので、仕事や趣味のキックボクシングを中断してしばらくその隠れ家で静養することにした。この地方都市には家内の実家もあり、何かと便利なのだ。すると、先月、その家内の実家の近くに、渋沢栄一翁のご親族の方が所有する格好の古民家を見つけた。その方は地方のお大尽という言葉がぴったりの気品を備えた方で、考えてみれば終戦直後のぎりぎり華族制度が残っていたころに生まれておられるので、子爵家(渋沢家)の一門として人生をスタートしているわけだ。
おれも家内も古民家と家庭菜園にあこがれていたので、何度かお会いしてその古民家を譲っていただいた。現在、古民家そのものはまだ大工さんとリフォームの計画を練っているところだが、家庭菜園のほうはその渋沢家のご親族の方が指導してくださり、ご近所のご支援もいただいて、家内や家内のお母さんが中心になって今月から果樹や果物の栽培を始めている。おれも労働力として駆り出されるようになった。近所の農家の方から比べたらほんのちょっとしか作業していないはずなのだが、ものすごく疲れて、先週から全身が痛い(笑)
3)倒すために流す汗・育てるために流す汗
いままでおれは都内のジムでキックボクシングを趣味にしてきた。おれも還暦を過ぎたのでジムでは長老のひとりだ。ジム所属の世界チャンピオンがまだ無名の素直な若者だったころからコーチしてもらっている。キックボクシングは全身の集中と、全身から滝のような汗が流れることが快感だ。膝の手術でそのキックボクシングもできなくなったが、今さらながら、農業がキックボクシング同様に滝のような汗が流れてクタクタに疲れる全身運動であることを知った。
そして同じく今さらながらの大発見をした。キックボクシングは相手と戦うために汗を流すが、農業は愛情を注いで果樹や野菜を守り育てるために汗を流す。相手を倒すために流す汗と、生命に愛情を注いで流す汗。この歳になるまで農業のこんな違いも知らなかったとは。昨日は都心で仕事のミーティングがあったが、この暑さで果樹や果物の苗は大丈夫だろうかと心配になる。けっきょく都心の家には寄らずにまっすぐ北関東の隠れ家に戻った(笑) それがなんか気持ちいいのだ。
幕末や明治に来日した欧米の知識人たちの多くは、当時の日本人がよく笑い、根っから明るいことに感動している。浮世絵などを見ても当時の日本人は男も女も老いも若きも生き生きしている。考えてみれば江戸時代は日本人の80%が農民で、10%が大工や左官や職工などの職人だ。育てる、創造する、そのために作物や作品に愛情を注ぐというのが仕事であった。このへんに、平和な縄文由来の明るい日本人の原点があるのではないかと感じはじめている。
