暦の歴史 | ゆだぽんの♬虹色オーラ♬ブログ

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お寺や神社巡りで感じた事や、不思議な話・オーラについて…などなど書いています。

昨夜ですが、暦や干支が大好きな長男と話しておりまして、面白いサイトを教えてくれたのですよ♪


このように干支をさらに分類し、写真でいうなら何年生まれの巳年なのかで色々と違うことが書いてあります(^^)
※ちなみに私は巳年ではありません

なんとこのサイト、以前記事にもしております「飛不動」のHPだったんですよ!

さらに詳しく知りたい♪
のという方はこちらをどうぞキラキラ


そこからさらに
暦っていつ始まったのだろう?
と話が発展しました。

日本に初めて暦法が移入されたのは
欽明天皇14年(553)といわれています。

中国では殷代(紀元前17〜11世紀)に
干支によって日を表現する「紀日法」を使い、旬日(10日)ごとに、次の10日間の吉凶を卜して年中行事(祭りなど)を行なっていたといいます。

「干支」は木の幹と枝との略字で
木の兄(え)・木の弟(と)であり
それに十二支獣をあてたのは「十三経」という経文によるのだとか。
元々は単なる日の表示にすぎなかったようです。

魏志倭人伝に
「倭人は正月と四季を知らず、春耕と秋収を記して年紀を記す」
という記述があります。

正月と四季を知らず。。。
ですが春耕と秋収。現在の神社の主要なお祭りは春と冬が多く、その起源ともなるものですよね。

暦は古代天皇においても重要な役割とされ、天体の運行を知り農事の吉凶などを占うことが、統治の根本だったという説があります。

日置部(ひおきべ)・日祀部(ひまつりべ)
という部民は、宮廷の暦を諸国に伝えました。
これが後に神社に伝わり伊勢暦や三島暦になっていきます。

春を告げてまわる
「事触れ」や「節季候せきぞろ
文を梅の小枝に結びつけ正月初めに売り歩いた
「懸想けそう文売り」
なんていう係?まであったようです。

まぁこんな難しい話を長男としていたわけではありませんが、古代史の視点からの暦の歴史をご紹介させていただきました。

明日は月や太陽暦について触れてみたいと思いますキラキラ







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