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「正しさ」で正そうとするとき
「そんなの間違ってるよ」
「普通はこうするでしょ?」
そう言いたくなるときって、ありませんか?
私は、身近な存在、子どもや夫に対して、「それじゃだめだよ」「ちゃんとしてよ」と口に出してしまうことが、何度もありました。
その瞬間は「相手のため」って思っていたけど、違うかもしれない。
これって、自分を守るために言っているのかもしれない。
たとえば、部屋が散らかっていても平気な顔をしている子どもを見て
「このままじゃだらしなくなる!」ってイライラや不安がわいてくる。
その不安を消したくて、「ちゃんとしなさい」って言ってしまう。
相手が間違っていると証明できたら、自分の不安が消えるような気がしたんです。
相手に“正しさ”を押しつけることで、自分の居場所が保てる気がした。
そんな気持ちが、心の奥にひそんでいたんですよね。
自分が正しいと思うことは、一見すると自信があるように見えますよね。
でも、その奥には、自分を信じられない不安や拒絶されたくない怖さがあったりします。
「私は正しい」と信じたいけど、どこかで自分を信じ切れてない証拠。
つまり、怒りや正論は外向きの感情に見えて、実は内側の弱さや不安を守るために働いていることが多いのです。
先日、友達と話していたときのこと。
「うちの子、ほんとにだらしなくて...何回言っても脱いだ靴下はそのまま。毎朝、イライラしちゃうんだよね!」
そう言いながら、私はちょっと声が大きくなってしまって
自分でも「言いすぎたかな...」と思うくらい、感情がこぼれ落ちていました。
すると、友達がそっと言ったんです。
「...でもそれって、自分が大切にしている“きちんと感”みたいなのを、乱されてる感じがするんだよね。
私も、子どもにそれやられるとすごくモヤモヤするから、なんとなくわかるよ。」
なんだか、涙が出そうになりました。
私は「なんで片づけないの!」って怒っていたつもりだったけど、本当は怒っていたんじゃなかったんだって。
私は脱ぎっぱなしの靴下そのものにイライラしていたわけじゃなかった。
朝のバタバタの中で、「ちゃんとしなきゃ」「しっかりしなきゃ」って、自分が気を張っているのに、
その隣で子どもが気ままに過ごしている姿を見ると
自分の頑張りがまるで無視されたような、そんな気がしてしまって。
私が毎日丁寧に積み上げようとしている
「きちんと感」や「整えたい空気」
が、子どもの何気ない行動によって、いとも簡単に崩されてしまうようで。
まるで、自分の価値がないかのように感じてしまっていたんです。
そうか。
片づけない子どもが悪いのではない。
私は、自分の大事にしているものが、軽く扱われた気がして、悲しかった。
イライラって、怒りの形をしてやってくるけど、その奥には、
悲しさや寂しさ、大事にされなかった感覚
が隠れていることが多いんですよね。
誰かを正す必要なんて、本当はどこにもないんです。
その人は、その人のタイミングで、その人なりの乗り越える力をちゃんと持ってる。
自分のこうあるべきで、誰かを囲ってしまうと、相手の持っている自由さや、その人らしさまでも見えなくなってしまうことがあります。
もし、どうしても伝えたくなるときがあったら...
まずは、自分のに問いかけてみてください。
「私は、なにが怖いのかな?」
「どうしてこの人に正しさを伝えたくなるんだろう?」
そこにあったのは、寂しさかもしれないし、不安かもしれない。
「わかってほしい」気持ちだったかもしれない。
気づいてあげるだけでも、少し心の力が抜けるはずです。
正しくあることよりも、ありのままでいられること。
それって、思っている以上に勇気がいるけど、とても大切なことなんだなぁって感じています。
今日も、がんばりすぎてちょっと力が入っちゃった自分に
「よくがんばったね」
って優しく声をかけてあげましょうね。

