愚生は、まあ並のレベルの人間よりは、少々漢字を知っているし、また書ける。
第一、「大学へ行きました。中国文学を勉強しました。漢字を書けません。」ではお話にならない。そりゃ書けて当たり前。でないと親に申し訳が立たない。
ところが、IT関連の会社に勤めている(愚生よりはるかに勉強の出来た)兄は、「漢字が最近全く書けない」と嘆いている。パソコンに入力して仕事が完了するわけだから、無理もない。漢字が読めても書けないおとなだらけだろう。
漢検をやたらに勧める風潮が一部の中学や高校であるらしいが、裏を返せば、書けない人間が増えていることに対する危機感なんだろうと思う。
愚生は別ブログで、ビジネス中国語の邦訳を試みているが、分析师(分析師)=アナリスト、知识产权(知識産権)=知的財産権、智能手机(智能手機)=スマートフォンなど、学生時代には目にすることのなかった語彙群と対峙している。へたすれば、辞典にない。故にwebで調べることになるのだが、パソコンとネットだけの世界で終わってしまう。つまり、視覚のみである。
しかし、語学(古典でも同じ)の原点とは、聴いて、発声し、書いて身につくものではなかったのかということに気がつく。辞典は手垢が付くくらい使い込まないと駄目と言う英語や国語の先生がいたが、それは大学受験の時に痛いくらい分かった。
うっかり忘れてしまいそうなことはノートに書けば、かなり防げる。アナログ行為を忘れたときが危ないと思う。
※3/1~5/27までの88日間で1020ものアクセスがあって、来訪者が0という日も珍しくなかった開設当初のことを考えれば嘘みたいな数字です。また、不思議と読んでいただきたいとおもう記事(たとえば土佐日記関連など)はしっかり読んでくださっていらっしゃることが何よりも喜ばしいことです。今後ともご贔屓に。