
『ウエツフミ』には、おそらく『竹取物語』の原型となったであろう「カカヨリ姫の故事」が、正確に記録されています。
それは、奈良県の天香久山に実在した美人の物語であり、残念ながら富士山は登場せず、月に帰ったという記述もありません。
ましてや宇宙人などとは無縁でした。
つまり『竹取物語』は、この実在した女性の逸話に創作を付け加えて、壮大なラブ・ファンタジーとしたものであり、ここに超古代文明のヒントを探すのは難しいと思います。
それでは、『ウエツフミ』の記述を詳細にみてみましょう。
ウエツフミの記述
それは、第69代ウガヤフキアエズの命の時代といいますから、おそらく弥生時代の後期、奈良県の天香久山のふもとにカカヨリ姫(燿依姫)という超美人が住んでいました。
父は地方長官の田成彦の命、母は幡戸姫といいます。
たいそうな美人であったので、誰もが可愛がりたい、夜這いして口説きたいと思っておりました。
ここに、畝傍山の中腹に住む地方長官の息子で、武見雄志の命という男性がおりました。
カカヨリ姫を口説こうと、何日間も夜這いをかけましたが、残念ながら失敗に終わります。
さらに、耳成山の山頂に住む地方長官の息子で、角見知の命というライバルが登場します。
この男性は(知恵を使って)カカヨリ姫の侍女たちを手なづけることから始めました。
(原文では「賄う」とありますので、文字通り接待したか買収したかのどちらか)
それを密かに聞いた武見雄志の命も、負けてはならじと侍女たちを手なづけはじめます。
ところがカカヨリ姫は、二人の男性に言い寄られたことに悩んで、解決策もないまま、悶々と苦しみます。
これを知った両親は、誰にも会わせないようにします。
ところが、二人のイケメンたちは「ゼッてー負けねえ」と言い放ち、プロポーズ合戦が三年間も続きましたが、それでもカカヨリ姫は落ちませんでした。
それどころか、とうとうカカヨリ姫は重い病に臥して亡くなってしまいます。
そこで両親は嘆き悲しんで「葬式を出さなければ」と、大国主の命に祈り(当時はオオクニヌシがあの世を司る神様だった)、泣きながらカカヨリ姫に死に化粧を施します。
その内容には考古学的な価値がありそうなので、詳細に再現しておきます。
◆髪の毛を湯津爪櫛で解いてまとめ
◆みそそぎ(海水で躰を洗うこと)をし
◆眉毛を描いて
◆歯を墨の粉で「お歯黒」に染め
◆顔には白粉草の実の白い粉を塗り
◆口には火丹草の草汁を含ませ(当時はオレンジ色の口紅だった?)
◆禮衣(いやけし=死に装束)を六重に着せて
◆オレンジ色の腰太袴をはかせ
◆頭に黄金の鏡鳥のかんざしを被らせ
◆手にヒノキの扇を持たせ
◆奥津喪屋(お棺)に入れて
◆神輿に担いで
◆天香久山の頂上に埋葬して
◆あの世に帰して
◆オオクニヌシとスセリ姫を守り神として祈りました。
つまり、天香久山の頂上を発掘すれば、上記のとおりのカカヨリ姫の遺体が埋まっている可能性が高いといういうことです。
ここに、武見雄志の命は、畝傍山の頂上に洞窟を掘って、カカヨリ姫の幸魂(さきたま、私の解釈では来世)を斎き祀りました。
一方、角見知の命は、耳成山の頂上に洞窟を掘って、カカヨリ姫の奇魂(くしたま、私の解釈では前世)を斎き祀りました。
ウエツフミの記述は以上で終わっています。
【原文】http://www.coara.or.jp/~fukura/uetufumidata/uetudata.php?tno=35&sno=24

天智天皇が残した証拠
後世になってから、おそらくこの故事を知っていたであろう中大兄皇子(なかつおほえのおうじ)が、そうあの天智天皇ですよね、下記の歌を『万葉集』に残しています。
〔近江宮に天の下知らしめしし天皇〕の三山(みやま)の歌一首
香具山(かぐやま)は 畝傍(うねび)ををしと 耳梨(みみなし)と 相(あひ)あらそひき
神世(かみよ)より かくにあるらし 古昔(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ うつせみも 嬬(つま)を あらそふらしき
残念ながら香久山と畝傍の男女の位置づけが『ウエツフミ』とは逆転していますが、明らかに「カカヨリ姫の故事」を意識しながら、「神代からそうだったのだから、現代だって妻を争うよねえ」と、暗に自分自身の体験を告白しているのです。
ここから、天智天皇と天武天皇が額田王を争ったのでは?という解釈も生れました。
つまり、美人をめぐる三角関係は、古代から連綿と続く「男女の習い」なのであって、どの人物がオリジナルだったのか?を議論するのはナンセンスです。
ただし『ウエツフミ』の記述が正しいとするならば、日本人は二千年以上にわたって、このカカヨリ姫=かぐや姫の故事を言い伝え続けてきたことになります。





