芸北地方の一部地域には、「尊神」という曲目があり、必ず「潮祓」の次に奉納することとされてる。
この尊神は、最初は強い調子の奏楽によって鬼棒を持って荒々しく舞い、途中からは軽快な調子の奏楽によって鬼棒を御幣と扇に持ち替えて優雅に舞う神の一人舞である。
この曲目に登場する神は、「言葉を発することができない神」と古くから伝わっているが、その出所、由来に関しては全く不明であり、非常に謎めいた曲目で、何らかの理由により意図的にその実体が隠蔽された可能性も考えられる。
この尊神は、最初は強い調子の奏楽によって鬼棒を持って荒々しく舞い、途中からは軽快な調子の奏楽によって鬼棒を御幣と扇に持ち替えて優雅に舞う神の一人舞である。
この曲目に登場する神は、「言葉を発することができない神」と古くから伝わっているが、その出所、由来に関しては全く不明であり、非常に謎めいた曲目で、何らかの理由により意図的にその実体が隠蔽された可能性も考えられる。
1 大元信仰と蛇神
大元信仰は、島根県石見地方及び広島県芸北地方の一部地域に継承されている信仰で、「藁蛇」(藁で作った蛇型)を主体とし、式年祭には、託太夫がこの藁蛇に寄りかかり、神懸かり状態で託宣を賜るというものである。これら一連の神事は「託舞」と呼ばれ、その他の祭事を総称して「大元神楽」と呼ばれている。 藁蛇は、大元神の鎮座地から祭場へと運ばれ、一連の祭事が終了すると神木に巻き付けられ役目が終了する。これらから推察するに、大元信仰は、蛇を「地霊」(大地に宿るとされる霊的な存在のことで、万物を育み恵みを与える一方、地震や風水害などの災厄をもたらすと言われている)の象徴として表現し、「大元神」として祀る民俗信仰と思われる。
蛇に関する説話は、日本をはじめとして世界各地に分布しているといわれ、世界の民族は、この神秘的な生物である「蛇」を全く無視することはできなっかた。蛇は、その神秘的な生体が故に信仰の対象となり、他方では恐怖の対象となったと考えられる。
宗教学者ミルチャ・エリアーデ氏は、その著「永遠回帰の神話」の中で、蛇をめぐる宇宙観を体系づけ、「蛇は『混沌』」であり、形無きものを象徴し、蛇を統御することは、形無きものから形有るものへと転位する創造の技である。形有るものとは『秩序』である。すなわち、混沌を自然とし蛇の世界であるとすれば、秩序は文化であり、人間の世界である」としている。まさに、この概念こそが、蛇を地霊の象徴とする大元信仰の根底にあるものと思われる。
日本における蛇信仰は、原始の信仰であるといわれ、他者と同化することによって、水神、雷神、火神、竜神、風神、木神、山神、地神、野神、荒神、氏神などへと転化したものと考えられる。
2 正史にみる蛇信仰の痕跡
古事記、日本書紀は、帝紀や旧辞を軸として諸種の資料を幅広く集めて編集された官撰による日本の古代を語る、いわゆる正史といわれるものであるが、これらは朝廷に都合良く書き改められていることは明瞭である。このことは、古事記の序部分にも見られるように、「これすなはち邦家の経緯、王化の鴻基なり。故、これ帝紀を撰録し、旧辞を討覈して偽を削り、実を定めて、後葉に流へむと欲ふ」とする文面からも十分に推察されるところである。
古代、先住民族が絶対神として崇拝していた「蛇神」は、その後侵入してきた朝廷に受け入れられることはなく、正史から抹消されるという運命をたどらざるを得なかったのと思われる。しかし、朝廷は、古来、絶対神として崇拝されてきた蛇神を全て無視することも、神を蛇以外のものに仮託することもできなかったと見え、その痕跡は、古事記、日本書記の中に、次のとおり垣間見ることができる。
(1) 素戔嗚尊の八岐大蛇退治
日本書紀及び古事記に、素戔嗚尊は、八岐大蛇を退治し、その尾から出た太刀を「天叢雲剣」と名付けて、天照大御神へ献上したとある。蛇神を崇拝する民族の製鉄技術によって作られた剣の献上を示唆している。
(2) 天つ神の子の表物
日本書紀に、長髄彦は、神武天皇の東征に際し、饒速日命が天つ神の子のである表物として「天羽羽矢」と歩靫を見せたとある。饒速日命が、蛇神を崇拝する民族であることの証明を示唆している。古語拾遺(斎部広成撰、808年)には、「古語に、大蛇を羽羽と謂う」とある。
(3) 三輪山の大物主神
日本書紀に、小子部

は、雄略天皇の三諸岳の神の姿を見たいから捕らえて来るようにとの命令に従って、三諸岳に登り「大蛇」を捕らえて来て見せたとある。国つ神である大物主神が「蛇神」そのものであることを示唆している。三諸岳とは奈良県桜井市の三輪山のことで、古事記によれば、三輪山の祭神は大物主神とされている。この三輪山の神が蛇神ではないかと推察される部分は他にもあり、日本書紀神代の八段、古事記・日本書紀初代神武天皇の段、古事記・日本書紀第十代崇神天皇の段にも見られる。3 蛇神を崇拝する先住民族
日本書紀には
「一書に曰はく、大国主神、亦の名を大物主神、亦は国作大己貴命と号す。亦は葦原醜男と曰す。亦は八千戈神と曰す。
亦は大国玉神と曰す。亦は顕国玉神と曰す」
とあって、大国主神は七つの名を持っている。
また、古事記にも
「大国主神。亦の名は大穴牟遅神と謂ひ、亦の名は葦原色許男神と謂ひ、亦の名は八千矛神と謂ひ、亦の名は宇都志国玉神と謂ひ、併せて五つの名あり」
とある。これら七つの名あるいは五つの名は、同一神の異名であるとするには無理があり、それぞれの名は、各地に分散して定住した同一信仰形態を有する先住民族の領袖の名ではないかと思われる。
古事記の出雲の段には、海を照らして来た神の物語があり、その神が大国主神に、自分を大和の青々と取り囲んでいる山々の、その東の山の上に祀れば、一緒に国作りを完成させようと言って告げ、これが御諸山の上に鎮座する神であるとある。
前述したように、御諸山の神は大物主神であり蛇神である。このことからも、蛇神を崇拝する民族が、海の彼方からやって来て、それぞれ定住したことが推察される。
とある。これら七つの名あるいは五つの名は、同一神の異名であるとするには無理があり、それぞれの名は、各地に分散して定住した同一信仰形態を有する先住民族の領袖の名ではないかと思われる。
古事記の出雲の段には、海を照らして来た神の物語があり、その神が大国主神に、自分を大和の青々と取り囲んでいる山々の、その東の山の上に祀れば、一緒に国作りを完成させようと言って告げ、これが御諸山の上に鎮座する神であるとある。
前述したように、御諸山の神は大物主神であり蛇神である。このことからも、蛇神を崇拝する民族が、海の彼方からやって来て、それぞれ定住したことが推察される。
4 尊神の秘密
さて、本題の「尊神」であるが、前段で長々と「蛇神」について記述してきたのは、それなりに理由があり、「尊神」は、蛇神である「大元神」と同一神であると考えているからである。伊勢神宮の外宮の祭神は豊受大神であるが、外宮は、雄略天皇の時代に天照大御神の御饌都神(食物を司る神)として、豊受大神を丹波国より迎えて創祀されたといわれている。室町時代に、吉田兼倶が、伊勢神道の教理体系を基調として唱道し、明治維新に至るまで陰陽道宗家や各神道流派、仏教界にまで影響与えたといわれる「吉田神道」には、最高神として「大元尊神」が据えられ、古事記、日本書紀の初めに見える天御中主神、国常立神は、豊受大神の別称であり、大元尊神と同一神であるとされている。
豊受大神は、豊かな食物を司る女神で、古事記に見える「豊宇気毘売神」、「登由気神」、丹後国風土記逸文に見える「豊宇賀能売命」、摂津国風土記逸文に見える「止与宇可乃売神」、陸奥国風土記逸文に見える「豊岡姫命」は、いずれも豊受大神と同一神とされ、また延喜式の大殿祝の祝詞の中に「屋船豊宇気姫命」を注して
「是は稲の霊なり。俗の詞に宇賀能美多麻といふ。今の世、産屋に辟木、束稲を戸の辺に置き、また米を屋中に散らすの類なり」
とあり、特に稲の豊穣に関わる神とされる。
宇賀能美多麻は、古事記では「宇迦之御魂神」、日本書紀では「倉稲魂命」と記述され、ウカノミタマと言うのは「稲魂」(穀霊)そのものの名であるとされる。この「ウカ」の語源は、南方祖語の「ウガル」(蛇)の転訛と言われ、蛇に稲の神、田の神、倉の神などの神格が付与された所以は、蛇を野鼠の天敵として尊重し、稲田や穀倉の守護神として信仰されたことによるものと考えられる。
吉田兼倶によって唱道され、室町時代後期以降、近世に至るまで神祇界の中心的役割を担った吉田神道は、宗源専旨・神道裁許状を発行して神位・神号の授与権及び祠官の補佐権を独占し、全国へ普及を図り、更に、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に近づき、地位の向上に努め、近世に入ると「諸社禰宜神主法度」(1665年)の中に、吉田家の神社支配が認められたことにより、その地位を盤石なものにしたとされる。
吉田神道では、「大元」とは「おおもと」、すなわち原始の意味であり、外宮の神である豊受大神は最初に生まれた神、すなわち「大元神」(おおもとがみ)であり、万神に先駆けて生まれた最高神であるとしている。伊勢神道の教理体系を確立した度会氏及び吉田兼倶は、豊受大神が如何なる神かを承知していたと見え、朝廷の強大な圧力によって、その実体を巧妙に隠
蔽したものと思われる。
蛇を「地霊」の象徴として祀る大元信仰の神を「大元神」(おおもとがみ)と呼称しており、この大元神の実体は、伊勢神道、吉田神道にいう古事記、日本書紀の記述に迎合されている「大元尊神」(たいげんそんじん)と同一神であると思われる。また神楽の曲目の「尊神」も、「大元尊神」、「大元神」と同一神であると思われ、本項の冒頭で記述した、この曲目は必ず「潮祓」の次に奉納され、この神は言葉を発することが出来ない神との古くからの言い伝えは、尊神が最高神であるが故に、舞殿を清める「潮祓」の次に当然奉納されるべき曲目であり、また時代背景から尊神の実体を隠蔽する必要があったのではないかと推察される。









