自分のまるごとを引き受けたとき
わたしたちは100%ピュアになれる。
ピュアになるって穢れがないことでなく
穢れがあることも全部受け容れていくこと。
そこに生まれるのは「希望」だと思う。
そして、その自分からすべての一歩をスタートさせる。
(๑>◡<๑)



その名を摩利支天(まりしてん)という。
我が国では護身や勝利、開運などをつかさどる仏教の護法神として信仰を集めている。しかしどちらかというとなじみの薄い存在なので、はじめてその名を耳にする力も少なくなかろう。
また、亥年の守り神でもある。なぜならご覧の通りイノシシの背に乗っているからだ。 今年は亥年。そこでイノシシにゆかりの深いこの摩利支天の謎にせまってみたい。
摩利支天とはいったいどんな神なのだろうか。
イノシシに乗って素早く移動し、しかもすがたが小さく実体が見えない。すなわち傷つきにくいことから我が国では戦場の護神として武士や忍者が信仰し、江戸時代には蓄財福徳の神として大黒天や弁才天とともに人気があったという。山岳信仰や剣術などと結びついて地名や石碑などにもその名を残しており、名前を闘いてピンときた方もあるかもしれない。
その直接的なルーツは威光・陽炎(かげろう)を神格化した古代インドの女神マーリーチーに出来する。マーリーチーとはサンスクリット語で日月の光を意味する。創造神プラフマー(梵天)の子といわれ、その昔インドラ(帝釈天)とアスラ(阿修羅)とが戦ったときにはインドラの支配する月と太陽の光をさえぎりアスラの攻撃から守ったという。
摩利支天の功徳を述べた仏教経典にはおおよそ次のように説かれている。この天は常に太陽の前にいて、その神通力ゆえに何人たりともその姿を見ることも実体を捉えることもできない。そしてこの天に帰依すればあらゆる厄難からその身を護ってくれる。また像を彫る際にはできるだけ小さく作る方が望ましく、そして用足し以外は肌身離さず持ち歩かねばならないという。
摩利支天のイメージがこれらの経典によって確立されるまでには長い道のりがある。古代インドの太陽神スーリヤ(日天)などを経てイランの神々にまで遡る可能性があるというのでそのルーツは意外と深い。
摩利支天はイノシシの背に乗る唯一の護法神である。また三つの顔を持つ摩利支天はそのうちの一面がイノシシの顔になっている。いったい何ゆえに摩利支天とイノシシが結びつくのだろうか。
摩利支天の素早く疾駆するさまをイノシシに喩えたというのが一見まっとうな理由のように思える。現に各寺院でもイノシシは摩利支天の眷属であり、智慧の迅速さや勇敢さをあらわすものと説明される。しかし経軌の中には「猪車に乗りて立つこと舞踏の如し(『大摩里支菩薩経』)などと説明されることもあるが基本的にあまりイノシシのことは詳しく記されていない。摩利支天が日本にもたらされた後にこのように理解されていったのかもしれない。
摩利支天の像を造るにあたっては、経軌にもとづくかたちの制約はそれほど受けなかったようで、その姿は多様である。七頭のイノシシの背に坐る場合もあればただ一頭のイノシシにまたがったり三日月の上に立つこともある。三面六臂(さんめんろっぴ)あるいは八将という異形のすがたであらわさたり、我々と同じように二本の腕と一つの顔を持つ摩利支天もいる。さらに女神でなく男神のすがたであらわされることも少なくない。






























