†その名はエリヤ†《2》 | みらくる☆彡

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エリヤの携挙


 これから取り上げる3つの事柄は、
冒頭に書きましたように、
他の人には見られないエリヤ特有のことです。

そのひとつめが、
その生涯の終わりです。

死を見ないで
そのまま天に引き上げられたのです。

火の戦車と火の車に迎えられ、
たつまきに乗って天に昇っていったのです(Ⅱ列王記2:11)。

この出来事は後継者であるエリシャばかりでなく、
エリコの預言者のともがら50人も
見ていたかもしれません(Ⅱ列王記2:6~8)。

エリヤはなぜ死を見ないで
天に引き上げられたのでしょうか。

もうひとり、
聖書の中で 天に引き上げられた人エノクについてはこう端的に記述されています。

「エノクは神とともに歩んだ。
神が彼を取られたので、彼はいなくなった。

(創世記5:24) 
このみことばから押して測ると、
エリヤの生涯は神様とともに歩んだものであって、
それを神様が喜ばれていた、
というあかしであろうと思われます。

確かにエリヤはバアル礼拝全盛の時代に現われ、

「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。」

(Ⅰ列王記17:1)と言って、
信仰に立ってこれと戦い、
イスラエルに神の栄光を回復する先がけとなるのです。


変貌の山に現れたエリヤ


 2つめのエリヤ特有の事柄は、
変貌の山に現われたことです。

イエス様が十字架にかかる前、
高い山に登られ祈っていると栄光の姿に変わりました。

そのときモーセとエリヤが現われ、
イエス様が
エルサレムで遂げようとしておられるご最期について話し合われました
(マタイ17:2,3、ルカ9:28~31)。

なぜ話し合われたのでしょうか。

なぜモーセとエリヤだったのでしょうか。

 ひとつの考えは、
律法を象徴するモーセと
預言者を代表するエリヤだというものです。

律法は
幕屋やいけにえなどを通して
キリストとその御業の型となるものでした。

また預言は
キリストとその御業についてあらかじめ語ったものでした。

ですからモーセとエリヤによって旧約聖書の中に現わされたキリストと
その御業のすべてが現わされる、
ということになります。

そしてそのご最期、
すなわち十字架の御業について話し合われたのです。

 もうひとつの考えは、
イエス様が空中再臨され、
すべてのキリストにあるものが携挙されるときに関連しているというものです。

「キリストにある死者が、まず初めによみがえり、
次に、生き残っている私たちが、
たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ 、
空中で主と会うのです。」

(Ⅰテサロニケ4:16,17)  

モーセはすでに死んでいる者を現わし、
エリヤが生きたまま引き上げられる者を現わし、
このふたりによって
すべての主にあるものが天に引き上げられて
いつまでも主とともにいる祝福に与ることを現わしているということです。

十字架はまさにこの祝福をもたらすための御業でした。


キリストの先がけとしてのエリヤ


 3つめのエリヤ特有の事柄は、
メシヤの先がけとして現われることが
預言されていることです。

 イエス様が人の姿をとって
歴史の中に現れたのではないかと思われる人物が
旧約聖書の中に登場してきます。

メルキセデク(創世記14 章)などがその例です。

 けれども逆に
旧約の聖徒が新約聖書の中に登場するのはモーセとエリヤだけです。

彼らが登場するということは
人間は死んで終わりではないということを 教えてくれていると思います。

 そしてその登場があらかじめ告知されているのはエリヤだけです。

旧約聖書の一番最後に
それは記されています。

「見よ。わたしは、
主の大いなる恐ろしい日が来る前に、
預言者エリヤをあなたがたに遣わす。
彼は、父の心を子に向けさせ、
子の心をその父に向けさせる。
それは、わたしが来て、
のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」

(マラキ4:5,6)  

福音書を読みますと、
当時のユダヤ人はエリヤの再来を
たいへん気にとめていたことがわかります。

バプテスマのヨハネに対して

「あなたはエリヤですか」

(ヨハネ伝1:21)と聞いています。

イエス様に対しても

「彼はエリヤだ」

(マルコ6:15)という人々がいました。

律法学者たち(は)、
まずエリヤが来るはずだと言っていました。(マタイ17:10)

 バプテスマのヨハネの誕生を
その父ザカリヤに告知した御使いは

「彼こそ、エリヤの霊と力で主の前ぶれをし、
父たちの心を子どもたちに向けさせ、
逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、
こうして、整えられた民を主のために用意するのです。」

(ルカ1:17) と伝えています。

まさにマラキの預言そのままです。

イエス様ご自身が、
バプテスマのヨハネについて2回、
エリヤであると語っています。

「あなたがたが進んで受け入れるなら、
実はこの人こそ、
来るべきエリヤなのです。」

(マタイ11:14)  

「「エリヤはもうすでに来たのです。・・・」

そのとき、弟子たちは、
イエスがバプテスマのヨハネのことを言われたのだと気づいた。
(マタイ17:12,13) 

もちろんバプテスマのヨハネ自身が

「そうではありません」

(ヨハネ1:21)と言っているように、
同一人物ではなく、
その働きをもって象徴的にエリヤだといわれているのです。

その働きは、
御使いがザカリヤに告げたように

「整えられた民を主のために用意する」

(ルカ1:17)ことでした。

 さて、ご承知のとおり、
ユダヤ人はイエス様を救い主として受け入れませんでした。

その結果、
神の国の実現は先送りになりました。

今度イエス様が地上においでになるとき、やはり
エリヤは現われなければならないようです。

イエス様が

「エリヤはもうすでに来たのです。」

(マタイ17:12)と
過去形でバプテスマのヨハネについて語ったその直前に、 未来形で

「エリヤが来てすべてのことを立て直すのです。」

(マタイ17:11)と、
未来におけるエリヤの働きについても語っているのです。

イエス様が地上再臨される前、患難時代に
「ふたりの証人」 (黙示録11:3)が
1260日(3年半)の間、
預言することが記されています。

そのふたりのうちのひとりとはエリヤのようです。

預言をしている期間は
雨が降らないように天を閉じる力を持っています(黙示録11:6)。

もうひとりはモーセのようです。

彼は

「水を血に変え、 その上、思うままに、
何度でも、あらゆる災害をもって地を打つ力を持っている」

(黙示録11:6)のです。

このふたりの証人があかしを終えると、
底知れぬところから上ってくる獣が彼らと戦って勝ち、
彼らを殺してしまいます (黙示録11:7)が、
それから主の地上再臨があるのです。

 エリヤは神様とともに歩んで、バアル礼拝と戦い、
イスラエルに信仰の回復への道を整えました。

メシヤの来臨にあたって、
やはりその道を整える働きを担っておりました。


http://www.habi.ne.jp/takabayashi/eriya.htmlより