最近はずっと、
「赦(ゆる)す」
ということについて、
考えています。
感情の解放、
という言葉を知ったのは三年ほど前のことだったけど、
その解放先を自分の外側にしてしまった場合、
その人はますます怒りを感じなければならない、
ということに気付いたからです。
結局のところ、
「怒り」というのは「恐れ」と同じ種類の感情で、
怒ることによって恐れないようにしている、
ということです。
怒りを外に発散するのは時に快感を伴うから、
その人はますます「怒り」にハマっていく。
その時の怒りから発する「恐れ」は、
「怒ってしまった、という無意識の罪悪感」で、
それを払拭するために、また怒る。
怒りを溜めてしまうのも、
怒りを放出してしまうのも、
どちらにしてもそれぞれの状態について、
「ある罪悪感への恐れ」
というのを感じないようにするためのテクニックのようなもの。
だからもし、
「怒り」を感じたら、
「もし、ここで怒らなければどうなるのか」
と考えてみる。
するとたいていの場合は、
「ここで怒らなければ、自分にとって何か悪い事が起こる」
と思っていたことに気がつくのだと思う。
あるいはもしかしたら、
そんな思考に至るよりも早く、
あまりにも強く根深い「恐れ」から
防衛反応的に怒ってしまう場合もあると思います。
どちらにしても、
「赦(ゆる)す」
ということが最終的な解決方法になっちゃうの。
これは「怒り」に限らず、
あらゆる不満やあらゆる悲しみなんかにも共通することですけどね。
どういうことかというとね、例えば、
浮気した(カモシレナイ)彼氏を、「赦(ゆる)す」。
あらゆることに不足を感じさせる配偶者を、「赦(ゆる)す」。
だけど、そうやって赦そうとすると、
「赦せない!」
とまではいかなくても、
今までのわたし達なら、
きっとモヤモヤして、赦せない。
だから、それはなぜかと考えてみたのです。
自分以外の誰かを通じて感じる怒りは、
本当は自分自身への何らかの怒り。
、、とはわかっていても、
相手を赦そうとすればするほど、
不安になったり、
むしろその怒りに執着しようとする。
わたし個人の感覚だけのシェアにはなりますけれど、
わたしの場合は、
赦したら、わたしが損をする
というマイルールがあった。
相手のある言動から勝手に感じる怒りは、
本来わたし自身の中にある恐れからの投影だというのにもかかわらず、
わたしはそれを赦してしまうと、
損をする
なんて思っていたのでした。
だからわたしは、
そういう勘違いなマイルールをかたっぱしから手放すことにしました。
だれかを赦せないのは、
自分自身こそを赦されざる者と想い続ける必要があるからだと、
無心に信じているからです。
もちろん、無意識でね。
だからほどんどの場合、それは不可抗力のようなもの。
自分が自分を罰するように、
他人を罰してしまうの。
そして
だれかを罰することは、
罰した人も
罰された人も
ますます罪悪感(恐れ)を感じるようになり、
常に何かに追われているような感覚(稼がなきゃ!とか成果を出さなきゃ!)にさいなまれるようになっちゃう。
もうね、
そういう世界は、
もうだいぶ堪能したように思います。笑
でね、「赦すと何が起こるのか?」というと、
たぶんこれが「癒し」ということなんだろうなぁ、という感覚が内側から溢れてきます。
まだ賢い言葉が見つからないけど、
「一皮むけた」みたいな。
そのおかげで、
なんかすごい豊かで幸せな気持ちになりますし、
そして最終的には怒りを感じていた相手にもすごく愛されていることがわかるようなことも起こって、
最終的にはやっぱりすごく豊かで幸せな状態になるの。
そしたら勝手にお金もブワッと入ってきたりするんです。
ほーんと、不思議なんだけどね!
だから、すぐには一掃できなくても、
一生をかけて赦し続けてみようと思いました♡
↑
でもこれ、「本命になれるヒント」のひとつでもありますよ!笑
みなさんは、
一番赦せない人を「赦そう」と試みた時、
何か抵抗を感じるものはありますか?
これはね、
ご自身の人生において、
すんごく重要な「マイルール」のヒントになるはずです。
そしてね、大切なのは、
もしどんな「ルール」を見つけたとしても、
そんなルールを知らぬ間に持ち歩いていた自分自身をまず、
赦すこと♡
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