昨日は、90才になった祖母のお誕生日であり、
そしてその祖母が毎年欠かさず行っている、
水子供養の日でした。
ご自宅もご立派でした!笑
「わたしの宗教」には「水子」っていないんですけど、
お寺さんの宗教に自分を当てはめてみると、
わたしにも「水子」がひとり、いることになります。
当時のわたしはすごく苦しみましたけれど、
だけどそのおかげで心底、
「本気で幸せにならなきゃいけない」と思えた、
という経緯もあって。
わたしにとっては、
「供養しなくてはいけないもの」というよりは、
「感謝するべきもの」という感じです。
当時、どん底のわたしに救いの光が差し込むような気持ちになれたのは、
何かの本かblogで読んだ話のお陰です。
それはね、
「中絶されたり流産したりする子は、
最初から生まれるためにおなかに入ったわけじゃない。
だから、ママは必要以上に自分を責めなくても大丈夫ですよ!」
という考え方でした。
※「生まれないと決めているけど、ママに何かしらの気づきを与えるためのグループソウルがある」という考え方の記述でした。今思えば、もしそういうグループがあるとしても、そこまでの意味(ママのために)なんてないと思いますけど、当時はすごく心の支えになった考えかたでした!笑
中絶も流産もしたことがない人からしたら、
「そんなのは、都合のいい考え方だ!」
って言われちゃうとは思いますけどね。
でもね、中絶も流産も、
産んだけどすぐに棄ててしまった人も、
「育てられるもんなら育てたかった」
と思ってるんですよ。
だって、「母性」ってそういうものだもん。
だから、育てられなかった人はみんな、
激しい罪悪感が自分への攻撃となってしまう。
(ただでさえ、他人からも責められがちなのに。)
もし過去にそういう、
子供に関する辛い想いを「罪悪感のまま」にしている人がいたとしたら、
「あの時の辛さ」を「そのまま」にしてどうするの?
と問いたいですよ。
自分をいくら「悲劇のヒロイン」扱いしても、
自分はもちろん、
生まれなかった子だって救われないじゃないですか。
「自分がちゃんと生まれてあげられなかったせいで、あの人(ママ)は幸せになれない」
と思わせちゃってるかもしれないし。
っていうかね、実際にいるんですよ。
「こんなわたしは、幸せになってはいけない」
「生まれてこれなかったあの子のことを、決して忘れてはいけない」
って、
「自分を幸せにしない」原因を、
「過去のあのこと」のせいにしてしまう人がね。
いるんですよー、中には。
水子の数なら10ぐらいで、
さらにその後にちゃんと何人も産み育ててて、
キッチリバッチリ、幸せになってる人って!!
だから余計に、
そんな風に思う。
幸せになっちゃいなよ!って。
とはいえお寺さんに行くと、
住職さんがいろんなお話をしてくれたりもするし、
嫌でも「あの世のこと」に想いを馳せるようになりますから、
もしかしたらそういうご縁をつないでくれている「水子」もいるのかな~
って思ったりもしますね♡
「水子と縁があった人」がするべき「本当の水子供養」ってものがあるとしたら、
それはその人が水子に振り回されずに、
しっかりと「自分の幸せ」を死ぬ気で探り当てて、
そしてその幸せをモノにすることだと思う。
そういう意味で、
わたしは常々、
「供養」ならできているとも思ってますね!♡
まぁ、こういう話ってとってもデリケートだし、
宗教が絡まなくたってわたしは旦那さんには「人非人」扱いされるようなトピックでもありますが。苦笑
(てゆーか、男がこういう話に口出ししてくるのはムカつくだけですけどね!妊娠できないくせに!!笑)
ともかく今日は、
娘が生まれてから2年半も会えていなかった、
最愛の祖母に会えたことがとっても嬉しかったです♡
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