私の内なる声、本当の気持ちに応えて、寄り添う。
ここまではできるのですが、その後どうすれば良いのかわからないことがよくあります。
例えば、寂しいという気持ちだったり、辛いという気持ちに寄り添うとします。
私の場合、寄り添ったら寄り添ったままいつまでも寂しくて辛い時があるんです。
寄り添っているうちに、さらに悲しい気持ちになってしまって、動けない状態になってしまうことも。
このような状態になってしまったら、身を任せて落ちるところまで落ちた方がいいのでしょうか?
それとも、なぜこんなに悲しいのか?寂しいのか?辛いのかをつきつめていって、解決するべき?でも、その気力すらないときは?
なんだかこんがらがってしまい、先に進めない自分がいます。
何かアドバイスいただけると、とても嬉しいです。
これからも応援しております。
ご質問ありがとうございます!
>私の場合、寄り添ったら寄り添ったままいつまでも寂しくて辛い時があるんです。
>寄り添っているうちに、さらに悲しい気持ちになってしまって、動けない状態になってしまうことも。
>なんだかこんがらがってしまい、先に進めない自分がいます。
↑
はい!
この、「こんがらがっています」という状態はすでに、
「何とかしようとしちゃった結果、こんがらがってしまった」
ということです。
というわけで、
>寄り添っているうちに、さらに悲しい気持ちになってしまって、動けない状態になってしまうことも。
↑
ここのタイミングで、とことん動かないで悲しんでみる。
ふかーい深呼吸をわすれずに!
あるいは、
「ああ、わたしってこういう時にこんなに悲しい気持ちになるんだ~。ふーん、そっか~。」
と、俯瞰してみる。(さきこさん方式)
余りにも感情の波が大きすぎたり、
感受性が強すぎるひとは後者のほうがいいかもしれません。
余りにも嬉しすぎるときも、心臓や呼吸が止まりそうになることがありますよね?
悲しいときや起こっている時も、同じような状態になるのも、
「当たり前のこと」のひとつです。
わたしも、余りにも大きな感情を消化しようとしたときは、
ほぼ一日中横になったまま、動けずにいましたよ。
そしてですね、「感じなきゃ」とか「ご自愛しなきゃ」ってなるのもおかしな話で、
そうなるともう、手段が目的になっちゃってるわけなのですね。
そして「ご自愛難民」の始まりになったりするので、
「感じきれないな~」って言うときはそれはもうそれで、
「ま、(どうでも)いっか!」
くらいに、チャラく構えてても良いのですよ~!
「自分の中にあるあらゆる感情」は、それがそこに在る限り、
必ずその「感情」を引き出してくれるような出来事が現実として起こります。
でも、だからと言ってそれを怖がる必要はないです。大丈夫!
特にネガティブな出来事の場合は、
「自分の中にあるもの・ある量=消化しきれる量」
程度の事しか起こりませんから![]()
ちょっと時間がかかることもありますけれど、
少しずつ消化していけばいいんです。
そして、それが最短距離でもあります。



が深まる








