この世は、「感じること」がすべてです。
喜怒哀楽のすべて。
意味もなく、ただそこに在るものを感じる。
感情を感じる。
空気感を感じる。
温度を感じる。
味を感じる。
色を感じる。
すべて、ただそこに在るものを感じるだけ。
そしてね、
「感じきった先にあるもの」というのが、
必ずあるから。
「感じきった先には、別に何もなかった。ただそれだけだった。」という発見も、
「感じきった先にあるもの」のひとつです。
では、ここからが本番です![]()
感じきった先に、何かがあったにせよ、
何もなかったにせよ、
更に「その時」どう感じているのか。
何もなかったことに、怒ってもよいし
何もなかったことに、絶望してもよいし
何もなかったことに、笑ってもよいのですが
とにかく、その、「感じた通りにする」というのが、大事です。
悶々とうじうじと感じ続けたその先にあるもの。
それを軽視しないで、とにかくその衝動のままに動いてみる。
例えば、
「あいつはダメな奴だ」と言い放つことを、
自分に許す。
「ダメなあいつ」は幻想だし、
「ダメなあいつに比べたらダメじゃない自分」も幻想だけど、
今、「そう」感じているのなら、
少なくとも「今」は、それが全て。
これ、ただ読んでいるだけじゃちっとも伝わらないのかもしれない。
それでも、書きます。笑
わたし達は、別に悟りを目指して生きているのでも、
いい人になるために生きているのでも、
心からの感謝をするために生きているのでもないのです。
それは、宇宙の大いなる完璧な仕組みからすれば、
ひとりひとりの存在への「価値」といったらすごいものですが、
かくしてその実態のわたし達は、
ただ、ここに生きているだけ。
息してるだけ。
それだけです。
わたしたちの細胞のうちのひとつ、みたいな感じ。
存在自体に価値はあるけど、意味はない。
謎かけみたいになってきた。。!
でも、意味はないので、考えないでね!笑
だからこそ、
「ただ、そこにいる人」のままでもいいのだけれど、
「それは嫌」と思う人ほど、もがいてもがいて、生き辛さを感じたりする。
怒っていいし、
悲しんでいいし、
笑っていいのに
「何かの価値観」に自らを摺り寄せるようにして、
それを制限する。
何かの価値観にいくら自分を摺り寄せても、
そうすることで誰かに好かれたとしても、
「誰かに好かれること」なんて最初から何の意味も価値もない、
幻想だというのに。
わたし達はそうやって、
「幻想」にすがることを人生の使命だと勘違いしてしまうのです。
「自分を生きる」、というのは、
幻想に自分を寄せていくことではなくて、
幻想のほうが自分に合わせてくれるような生き方です。
そのためにはやっぱり、
行動すること。
いつも言ってることですが、
「自分らしく」生きていくと決めた人から、
自分がキャッチした自分だけにわかる「サイン」を、
軽視せずに「現実」に落とし込んでいくこと。
それが大事![]()
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