・・・・・・・っということで、カミさんは自分の母親の面倒を見ることに疲れ果てています。
なかなか安いバイトを辞めないのも、母親と顔を付き合わす機会を極力減らしたいのが理由なのです。
(あとぼくと顔を合わすこともね。(^^ゞ)
彼女の母親はタチの悪いボケかたで、「お前を産んだのは自分の世話をさせるためだ!」と平然と言い放つくらいですから、程度の悪さはご察しください。
口を開けば、ワタシは孤独だ、ムスメ(とぼく)に無視されて虐待を受けている、飯も食わせてもらえず飢え死にさせられると喚き散らします。
ぼくに無視されているのは事実ですが、カミさんは違います。
これでは世話するほうはたまりません。
何をしたって、悪くしか取らないのですから。
仕舞いには、ワタシは不幸だ、いっそ死にたい、殺してくれぇ~~っと暴れます。
ほんとうに暴れるんですよ。
(来月)92歳の老婆が持つパワーとは思えない。
狂気の目をして、口から泡を垂れ流しながら暴れる姿は、かつて教師をしていた人物とはとても信じられません。
(ホント殺したろかいと思います。)
ぼくと違って、カミさんは人の悪口を言う人ではありません。
しかし、昨日の葬式では、集まった親戚にグチることグチること。
それも、本人を前にして。(^^;)
相当溜まっています。
そんなカミさんが、ネットで面白いやり取りを見付けました。
同じ悩みを持つ女性が、どうして自分の親なのにこんなに心身が疲れるのだろうと相談したそうです。
それに対しての答えが、【人間には子供を面倒見るというDNAは備わっているけれど、親の面倒を見るDNAは持っていない】というものでした。
それを読んでこれまでの悩み(主に自己嫌悪ね)が一気に氷解したというのです。
そうだよね、動物は子供を育てるけど、親の面倒は見ないよね。
親の面倒で悩むのは人間だけですよね。
そもそも親の世話をするのは、生物学理論に反した行動なのです。
そっか、DNAの問題なのね。(^ω^)
(蛇足)
今日出会った心に響く言葉として、以下のマザー・テレサの言葉について書こうと思っていました。
“Do not think that love in order to be genuine, has to be extraordinary. What we need is to love without getting tired.”
カミさんにこの言葉は響かないですよね。
絶対に。(;^_^A