信じる者は救われるか? (その2) | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、ぼくの会社の先輩にWという男がいた。

彼は敬虔なクリスチャンだった。

聖書を丸暗記していて、ぼくが聖書のある箇所を言うと、ちゃんとどの章第何節か言えるほどだった。

某外語大を出ていて、歩く英語辞書といわれるくらい完璧な英語を身に付けていた。

しかし営業には全く向かない学者肌の男だったので、成績も社内の評価もサッパリだった。

ずっと独身であったが、結婚願望は強かった。

あるとき、ぼくが懇意にしていた子会社の重役が、見合い話を彼に持ってきた。

写真を見せてもらったが、ズングリムックリで、美人とは程遠い容姿だった。

ぼくも20代と若かったので、写真の印象を正直に彼に言ってしまった。

いまから思えば、人間は外見じゃないことくらい知っているが、彼はその写真だけで見合いを断ってしまった。

あとから、その重役に聞いたのだが、彼女もクリスチャンでとても気立てのいい女性だから紹介したとのこと。

まさか、写真だけで断るとは思っていなかった。

もう二度と彼には紹介しないとオカンムリだった。

今ごろになって、こんな懺悔をブログでするけれど、今でもぼくの罪の意識は消えていない。

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その後、彼は会社で全く昇進しなかった。

英語の能力を全然発揮できない総務部の係長クラスで雑用をしていた。

酒は全く飲まなかったのだが、ぼくは時間を見つけては彼のグチを聞いてやっていた。

出るのは、神に対する愚痴ばかりであった。

これほど自分は敬虔なクリスチャンとして努力をしているのに、神は自分に応えてくれないと正直に漏らした。

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その後、彼は痔を煩って手術のために入退院を繰り返し、50歳の若さでこの世を去ってしまった。

残されたのは、一人で彼を育てた母親だけだった。

ぼくは彼の葬儀に出席できなかった。

出席したくなかったからである。

参列したかつての同僚は、自慢の一人息子を失い悲嘆にくれる母親のことを話してくれた。

何で、仲良かったオマエが参列しなかったのだと、ぼくはなじられた。

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本当は皆知っているのだ。

信じる者なんか救われないのだ。


・・・つづく。