賞味期限切れの一神教 | so what(だから何なんだ)

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・・・・・・・っということで、宗教史という学問があるのかないのか知りませんが、歴史の中で宗教の変遷を見るのも面白いかもしれませんね。

宗教の発生は世界中どこでも「アニミズム」がスタートじゃないでしょうか。

アニミズムとは草木や岩や山のような自然の中に、あるいは動物の中に「神」の存在を認識するとぼくは理解しているのですが、そんなに外れていないでしょう。

原始宗教という言い方は好きではありません。


次に出てきたのが「多神教」でしょう。

神話というストーリー性のあるものに神を見出すものです。

アニミズムと違うところは、人間の姿をした神をそれぞれの担当の守護神として定義するものです。

ギリシャ・ローマ人はギリシャ神話の神々を信じて、あるいはバイキングたちはオーディンを主神とする北欧神話を信じて広大な地域を制覇していったのですね。


次に出てきたのが一神教のキリスト教ですね。

ローマ帝国が広大な帝国の安全保障装置として、多神教を放棄して一神教を選択したんですよね。

そして、中世ヨーロッパの絶対的価値観の基準として、長いあいだ人々の精神を支配したんですね。


まさに中世の始まりにおいて、アラビア半島ではキリスト教より洗練された形として、もう一つの一神教であるイスラム教が発生したのです。

その後、キリスト教と並存する形で急速に広まったのですね。


ルネッサンスを迎えることによって中世が終焉するとともに、キリスト教はより人間を主体とするプロテスタントが発生し、現代に続いています。


現代の世界人口のうちキリスト教33%(53%がカトリック、17%がプロテスタント、11%が正教会、残り19%がその他)、イスラム教22%となって、その二つの一神教だけで55%を占めています。


乱暴にまとめると:

原始=アニミズム

古代=多神教

中世=一神教

近現代=一神教

このまとめは、世界をリードしている宗教という視点で分類しています。


いうまでもなく、宗教というのは統一した価値観、統一した道徳観を人々に共有させる効果があります。

途中いろいろと変革はあったものの、2000年もの間一神教的な価値観が世界の運動原理となっていたといえるのではないですか。

かなり乱暴な言い方ですけれどね。


一神教は多神教やアニミズムよりずっと強力な宗教です。

強力であるが故に、世界に覇権を唱える国にとって、都合の良い宗教なのです。

政争においても戦争においても、一神教を選択するのは必然だったといえるのです。


しかし、キリスト教にしてもイスラム教にしてもいかにも古い。

人間の道徳観は時代を経ても変わらないとはいうものの、細かい部分で時代遅れになってきていることは認めるべきでしょう。

サウジにおいてようやく女性の自動車運転が認められたなんて良い例でしょう。


この古い道徳観念に若い人たちは耐えられなくなっているんじゃないですか。

だから、新興宗教に走ったり、神秘主義に走ったりする。(あるいはテロ集団に。)

キリスト教やイスラム教に限らず、およそ宗教というものは様々な分派が中から発生しているでしょう。

いくら憲法といったって、世界の情勢によって改憲する必要が出てくるのです。


ここで、ぼくが言いたいのは一神教は限界が来ているんじゃないかということです。

一神教であるが故に、紛争や戦争が絶えないのではないか。

では、どういう道徳基準や価値観を持てばいいのか?

さらなる新興宗教を興せといっているのか?

違います、ぼくは残り14%の無宗教あるいは無神論者に期待したいのです。

どういうことか?

人間を超越した神という存在に頼るのではなく、人間を頼りたいのです。

すなわち、あくまで人間を基準に置いた価値観、道徳観の共有です。

適切な言い方ではないかも知れませんが、脱宗教です。

脱宗教の先にあるものは何か?

それは哲学です。

哲学というものは難しい。

誰もが考えられるもんじゃない。

確かにそのとおりです。

でも、難しいからといって考えることを諦めたら人類の未来はない。

パソコンやゲームが人間の考える時間を奪っている今だからこそ、各個人が考える力を取り戻さなきゃならない。



そういう意味において、仏教は哲学に近いですね。

 

仏教は一人ひとりが悟ることを要求しますから。


なんだ、結局宗教頼りなのかといわれてしまいますね。(^^ゞ