・・・・・・っということで、キリストは彼自身をどう思っていたのか?・・・っという疑問。
大工の息子・・・ならば大工だろう?
神の子・・・だから?
神を信じるように布教した・・・新興宗教の教祖か?
預言者か?・・・神の子だろう。
世直しをしたかった・・・政治家志望か?
役人の悪を暴き、商人の不正を正したかった・・・ジャーナリストか?
あるべき人間の姿を示した・・・教育者か?
・・・・・・
彼自身、布教活動をしているという自覚はあったのだろうか?
彼の弟子たちは、明らかに布教という行為を通じて自ら宗教活動家であると自覚していたはず。
そのうち聖書という聖典が編纂されキリスト教という宗教としての体裁が整っていった。
だが、キリストは自分をどう自己規定していたのだろう?
両親からすれば、そんな弟子をぞろぞろと引き連れて、あちこち徘徊するよりも、きちんと仕事をしてくれと願っていたに違いないのである。
ぼくの疑問分かっていただけました?
まあ、神の子に生まれてみなきゃ分かんないことでしょうがね。