サン・タンブロージョ(聖アンブロシウス)により、
殉教者サン・ロレンツォ(聖ラウレンティウス)
を奉る教会として献堂されました。
フィレンツェの教会では 現存する最も古い教会です。
未完成の教会正面
1516年にメディチ家出身の教皇レオ10世が
ミケランジェロに教会正面の改装を依頼しました。
建築資材であるセラヴェッツァの大理石採掘所の
オープンの難航が一番の原因で改装計画は取り止め
になりました。
変わりにレオ10世はミケランジェロに
メディチ家の埋葬用の新聖具室を依頼しました。
一番の見所は、
ルネッサンス大芸術家のドナテッロの説教檀と
フィリッポ・ブルネレスキ(フィレンツェ大聖堂の
赤いクーポラの設計者)の設計の旧聖具室です。
今回は、マニエリズム様式の2人の画家の作品を
見て行きましょう。
まず、この教会は殉教者サン・ロレンツォの教会です。
スペイン出身。キリスト教が禁じられていた
ウアレリアヌス皇帝の時代にシクトゥス2世の元に
仕えていました。
教会財産の管理や貧しい人への施しを担当して
いました。
教皇が皇帝に捕らえられ、斬首の刑に処せらました。
サン・ロレンツォは教皇に財産を貧者に施すように
言われていました。
皇帝に教会財産を出すように言われた時に、貧者を
集めて彼らこそが教会の財宝なのだと主張しました。
このことからロレンツォは生きながら熱した
鉄格子の上で火あぶりにされました。
数分後に兵士に向かって『こちら側は焼けたから、
もうひっくり返しても良い』と告げたのです。
その殉教の様に感銘した多くの人がキリスト教に
改宗したと言われています。
その殉教の様子が描かれているのがこちらです。
1569年 アーニョロ・ブロンズィーノ
教会の左奥の壁に描かれ、
ドナテッロの説教檀の横です。
大きな迫力のあるダイナミックなフレスコ画です。
ミケランジェロの影響を大きく受けています。
そのすぐ左の黄色のターバンを巻いている女性は、
ブロンズィーノの先生のポントルモのスタイルです。
この絵の一番左上端の長く白い髭を生やしているが、
ブロンズィーノ自身の自画像です。
この絵の中の自画像が唯一の自画像です。
亡くなる2年前の67歳です。
ブロンズィーノは、マニエリズム期の代表的な
フィレンツェの画家です。
メディチ家の宮廷画家として活躍し、メディチ家の
肖像画を描いています。
ブロンズィーノは、青銅を意味するイタリア語
ブロンゾに由来します。
ブロンズィーノの髪の色がブロンゾだったそうです。
エレオノーラ・ダ・トレド
1545年 ブロンズィーノ ウフィッツィ美術館
メディチ家コジモ1世の妻です。
次男のジョヴァンニと描かれています。
マニエリズムですが、
ミケランジェロを模範としたルネッサンス後期
1500年代最初の芸術様式です。
ミケランジェロの手法(イタリア語でマニエラ)が
極められました。
曲がりくねった表現が見られます。
枠からはみ出した不安定な構図、強い明暗法等
ドラマチック、奇抜に表されています。
マニエリズム期の画家の作品があります。
聖母マリアの結婚
1523年 ロッソ・フィオレンティーノ
2013年から修復作業に入っています。
残念ながら2014年2月現在は見られません。
真ん中左に青い服を着たマリア様、右に旦那様の杖を
持った聖ヨセフが描かれています。
自然ではない、鮮やかな色合いで描かれています。
初期マニエリズムを代表する画家です。
聖ヨセフの手前に黒いローブを着た男性が右手の
人差し指で上を指しています.
2人の婚約の様子ではなく、天の方向をさす事で
イエス・キリストの誕生を暗示しているようです。
マリア様の旦那様は、天使のお告げで神からのしるしを
与えられた者とされていました。
これは、国中の独身者に杖を持たせ、杖の先に
花が咲いた者がマリア様の夫となったのです。
この絵が珍しいのは、
マリア様と夫の聖ヨセフかなり若く描かれています。
マリア様は14歳位です。
夫の聖ヨセフは年寄りに表現されています。
これは、マリア様の純潔を意味します。
マリア様は神の子イエス・キリストを生みます。
夫の聖ヨセフは、結婚した時には既に年老いていて
子供をもうけることが出来なかったという設定で
描かれていることが多いのです。
1506年 ミケランジェロ ウフィッツィ美術館
旦那様かなり老人像として書かれています。





