色々あって、少しスマホを見る時間を減らしていました。
前回の記事で、うさぎ(メス)が危篤で旅行を切り上げたと書きましたが、残念ながらその後8歳9ヶ月で亡くなってしまいました。
でも、いまはだいぶ家族の悲しみも癒えてきました。
自分のために記録に残しますので、お嫌な方はお戻りくださいね
10日
うさぎ、立てなくなる。
わたし達は旅行を一泊分切り上げて、実家へ。
17時ころ帰宅。うさぎは立てず、母に撫でられている。
その姿にショックを受け、夫・わたし・母で泣きながらさすり続ける。
夜は、夫・わたしが通常二階で寝るところ、うさぎを囲んで下で眠る。
となりの部屋に父母。
みんな、夜中に息をひきとるのでは!?と、ひやひや。
11日
うさぎ、立てないまま。
排便がうまくできず、わたしが綿棒やウェットティッシュで処理。
通常は旅行中だったので、丸一日お休みをとってありました。
トイレ以外は、ずーっとうさぎのそばに。
座布団を敷いて、その上に横たわるうさぎ。自分では寝返りをうてず、たまにひっくり返してあげる。
排便の関係で、お尻に便がこびりつき、今までにない臭い。
水が好きではないことを知りつつも、お尻だけぬるま湯で洗う。
洗う間も、ドライヤー中も、嫌だろうが抵抗する力もなく、夫と涙。
母は仕事。
父と夫で夕ご飯の支度をしてくれました。
夕ご飯は、夫が打った蕎麦と、父が揚げた天ぷら。
極太の短いそばに、べちゃべちゃで固い春菊とかぼちゃの天ぷら…
父は人生、初天ぷら。
夫は人生、3回目の手打ち蕎麦。
4人で大笑いしながら食べました。
その笑い声は、うさぎも聞いていたかもしれません。
食後、また体を撫でにいくと、
夫が「なにか変だ」と深刻な表情。
痙攣の数が多くなりました。
実は、弟がオーストラリアに出張中で、翌日帰るという日。
なんとなく、弟を待っているもと思い、まだ死なない気がしていました。
父母を呼ぶことを夫に頼み、わたしは、大好きな眉間を撫で続けまさした。
4人がそろった瞬間、うさぎは息を引き取りました。
本当に、そろった瞬間といった感じ。
4人で号泣し、ダンボールに綺麗な布で包んでいれました。
夜も、泣きながら就寝。
思い出話ができるし、慰めてくれるし、一緒にないてくれるし、夫がいて本当によかったと思いました。
12日
火葬の手配をすると、次の日になるとのこと。
夫は、父母の依頼通り、近くのスーパーで両親のガラケーやわたし達のスマホの写真を大量プリント。
その写真とダイソーのフレームなどを使って、わたしがうさぎギャラリーとお仏壇を作りました。
13日土曜日
骨壷を買い、火葬。
新しくなったばっかりの、綺麗な火葬場でした。初、うさぎとのこと。
オーストラリア帰りの弟も間に合い、家族5人で火葬に立ち会いました。
うさぎ一匹に対し、仰々しいですね(^◇^;)
散々泣いたからか、この日は涙はでませんでした。
火葬後、高速を走らせ、11時間くらいかかって、港まで行き、翌日島へ帰宅。
本当に、よくできたうさぎでした。
ちゃんと、わたし達がいる時を見計らってくれたこと。
島暮らし、共働きなので、実家に帰るのは容易ではありません。
わたしは勿論、夫もうさぎが大好きで、約5年くらい成長を見守っていたので、会えてよかった。
それに、両親も2人きりなら絶対にもっと辛かったはず。みんなで、看取れてよかったです。
それに、旅行にだってちゃんと行かせてくれました。お正月は本当に元気で、旅行前に具体悪かったら、そもそも行かなかったと思います。
しかも、旅行もメインはちゃんと行かせてくれて、最終日は特にすることがなかったのです(^◇^;)
一日、しっかり介護をさせてくれたこと。
食事、入浴、排便の世話をさせてくれて、「このまま永らえた方がいいのか、楽に逝かせた方がいいのか」たくさん、たくさん、考えさせてくれました。
いなくなったのは心底悲しいけど、苦しみが続かなかった方が、いいです。
わたし達に、心の準備と覚悟をさせてくれました。
今後は、みんなの側にいてくれること。
島から会いに行けるのは、年に数回。でも、これからは、近くでみんなを見守ってくれているはず!
一番泣いたのが、夫の「うさぎは、骨になってえいこの出産病院まで付いて行こうとしたんだね」
という言葉。号泣でした。
母の「赤ちゃん産まれる前に、身を引いたんだね。食い破った畳、リフォームの時間をくれたんだね。」という言葉にも泣かされました。
里帰り出産&産休でゆっくりうさぎと過ごせるのを楽しみにしていたのに!
うさぎにも赤ちゃん見せたかったのに!
でもでも、散々みんなで泣いて、思い出を語り合い、だいぶ心が落ち着いてきましたので、ここに記録を残します。
いつまでもくよくよせず、うちは親になる、両親は孫が2人も増える第二ステージにむかって、頑張りたいと思います

いままで、ありがとう
大好きだよー

