土橋真二郎さんの「このセカイで私だけが歌ってる」(カドカワ電撃文庫)
20××年、東京。
それは、世界で一番美しく、清潔かつ、端正な都市。電線はすべて地中に埋められ、”景観”を損なうような見苦しいものは存在しません。古くて危険、かつ醜悪な建造物は、すべて撤去され、ほどよく規則的計画的な街並みが整備されました。激減した人口から見れば、まったく不足のない住居が支給され、住民同士の思いやりに満ちた、しかし息苦しさのない”ご近所共同体”ともいうべき確固たるセーフティネットによって、住民たちが助けあう高福祉社会が実現されています。生活苦、貧困がなくなり、”犯罪”は過去のものとなりつつあります。住民は、スポーツ、芸能、サブカルチャーを楽しみ、同時にそれらを保護、育成することに協力的。
ただ、改善されていないのは通勤・通学環境。インターネットが事実上、崩壊し、前時代に現実化されていた在宅勤務、在宅学習が不可能になってしまったのです。フレックスタイムが完全普及しているのに、ラッシュは緩和されず。
実は”東京”の”真の姿”は、”隔離・封鎖されたユートピア”。10年ほど前、突如、新宿に出現した”サプライズゲスト”。それは、世界中に溢れかえり、世界を地獄と化しているゾンビたちの、最初の個体。ゾンビは瞬く間に増殖し、日本に始まり、世界中のインフラ、交通網、ネットワーク、生活環境、つまり現代社会そのものが崩壊。ゾンビによる壊滅を免れた東京は、整備された平和都市への転向に成功しましたが、都市の規模は大幅に縮小され、しかもゾンビに”汚染”された周辺地域から孤立した閉鎖都市となったのでした。
ある日、都庁舎に派遣中の民間人材会社の女子社員、ゾンビ対策委員会の一員である山岸夕花は、未知の危機の発生を知ります。東京にはいないはずのゾンビが、白山通りを徘徊しているのでした。封鎖以来、東京に”汚れた血”であるゾンビが潜入することは、理論的にありえないはず。しかし庁舎のモニターに映るゾンビの姿。警察官たち、自衛隊員たちが駆けつけますが、彼らも司令部も”未認証のゾンビの生殺与奪に関する権限”を持っていないという理由でゾンビ退治を拒否。”未認証のゾンビ”を殺すためには、ゾンビ疑惑のある個体の血液検査をして、”ゾンビ反応が陽性である”と証明しなければなりません。その手続きなしでゾンビを”識別”し殺せるのは、ゾンビハンターと言われるライセンス所持者のみ。しかも事前に彼らを招集するのは違法で、「ゾンビが出現したら、それを確認した上で、ハンター組合に要連絡」という非現実的、無能な法律により自縄自縛に陥る”理想の都市・東京”。
理不尽さにブチきれた夕花がモニターをみると、”どう見てもゾンビなのに未認証”な個体は東京の中枢部へと歩行中。それに立ち向かう少女の映像が突如、出現。鮮血を思わせる赤いワンピース。手には日本刀。この少女こそ、神出鬼没、一匹狼のフリーのゾンビハンター、綾瀬香流(あやせかなれ)だったのでした・・・・・・「世界で一番美しい街より」など、9編のエピソードによる連作ダークSFファンタジー。
もはやベテランの貫禄があり、デビュー当初から見せた卓越した文章力は、へたな純文学を凌駕。にも関わらず、ライトノベルという土俵をテリトリーとして保ち続ける土橋真二郎さん。その優れた文体、緻密に構築された物語の整合性は、初期作品の「扉の外」から明白で、早いうちに一般エンタメ作家へ転身するのでは、という世評しきりでした。
ある程度、真保したライトノベル系、あるいは少女小説系の作家さんが、一般エンタメ世界に進出するのは、良く見られるケースで、古くは桐野夏生さんがその有名例として、しばしばあげられます。唯川恵さん、山本文緒なんも同じパターン。冲方丁さんも「マルドゥック」シリーズを「ライトノベル」に分類することは可能です。その後、エンタメ界で大ブレイクしたのは、まさに転身成功例。「ホーンテッドキャンパス」がラノベ分類される櫛木理宇さんも成功パターン。あと、ライトノベルの「GOSICK」シリーズが、あまりにもスゴすぎた桜庭一樹さんの転身は、当然のなりゆきと言えると思います。転身当初にいきなり独特の世界観を生きる、複雑な心理の持ち主の物語、「少女七竈~」を書けてしまった、というのはかなりの衝撃です。
そんな中で「ラノベ」にこだわり続ける作家の”雄”といえば、言うまでもなく、西尾維新さん。まあ、一般エンタメに移ると、西尾さんを特徴づける「言葉遊び」などが制約されてしまう、という可能性が高いでしょうが。
で、土橋真二郎さんも、今なお、ラノベ街道まっしぐら、です。
本作は、そんな土橋さんとしては、かなりの異色作。
「土橋さんといえば、以前1巻のみご紹介した「コロシアム」のような”デスゲーム小説”のイメージが強い作家さん。「コロシアム」もレビューさせていただいた第1巻はじつは、いまひとつな作品。第2巻「薔薇とダイアモンド」で、異空間から現実世界の高校へ”狩場”を移し、対照的なふたりの女子高生、蠱惑的な「美少女・薔薇」と、クールビューティな「美少女・ダイアモンド」が登場してからが、圧倒的におもしろい。
センセーショナルなグロさで読者を引き寄せるのではなく、「凄惨しかし透明感のあるゲーム的世界観」を描くことに成功したこの系統の土橋作品は、ハズレなしです。
今回の「このセカイで私だけが歌ってる」は、全く別ジャンルの作品。ひとことで言うなら「ゾンビ小説」。このジャンルは「書きつくされた」感いっぱい、なのですが。
「既視感」皆無の珠玉の連作短編集に仕上がっています。
敢えていうなら、時雨沢恵一さんの代表作、ライトノベルで読んだのはこのシリーズだけという人も多い「キノの旅」のような、とたとえると、作品の趣向が解っていただけるのではないかと思います。
主人公は、第1話に登場する香流のようなゾンビハンターたち。フリーのものあり、チームを組む者たちあり、幼児期に家族とはぐれ、放浪児として育つ中、いつのまにかハンターとしての能力にめざめた女の子あり。
「キノの旅」はいろいろな「国」を渡り歩きますが、ハンターたちが訪ね歩くのは、日本国内に点在、それぞれが孤立し、自治自衛する「都市」や「自治体」。
通常のゾンビものと違うのは「ゾンビ対人間」という二元論てき前提が、必ずしも確立されていない、という点。
ゾンビと黒い契約を結ぶ都市さえ存在し、ほとんどの場合、ハンターたちは報われることなく、次の町へ発つ。
1話で語られるように、ゾンビは、むやみに殺してOKではありません。「どこで殺すか」という点に絡んでくる人間たちの利権。殺す以前に、問題が山積。たとえば、ゾンビが集合住宅に迷い込んで、ある部屋のソファに座り込んでしまったら・・・・・それだけで、その部屋は「瑕疵物件登録」の運命です。まして、あるレストラン内でゾンビを殺しちゃったら……その店は「縁起の悪いレストラン」として知れわたり、客足はあっという間に遠ざかって、あっという間に閉店することは明白。
9編のエピソード、みなおもしろいのですが、印象に残ったのは、何と言っても「優しい街の人々」でしょうか。クローズドサークルの「ゾンビのいる島」は前後編に分かれて、読み応えあり。
そして、エピローグ。なんという爽やかさ。
また、表紙の、ガーリーなゾンビハンター、”世界が滅んでもスカートを守る”が信条の究極少女、汐見坂吹雪のイラストも、キャッチーで魅力的。平積みされたら、表紙買いのひと続出でしょうが、残念なことに、たぶん……平積みされない。そんな、グロさ0%の近未来ゾンビファンタジー。
