ピエール・ルメートルの「その女アレックス」(文春文庫)

 

  アレックスは30歳。誰が見ても、文句なしの正統派美人。

  「いつもと違う自分」に変身とばかりに、ヘアウィッグ店で試着を繰り返しつつ、黄昏のパリの街歩きを楽しみます。男たちの熱い視線をあびながら、控え目になってしまうアレックス。実は美しい容姿と裏腹に、彼女はひどいコンプレックスから逃れることができずにいるのです。ショーウィンドウ越しに50代の筋骨たくましい男の存在に気づくアレックス。つけられているのかと思いつつ、それを否定する彼女は、居心地のよいレストランで夕食をとります。食後、店を出て最終バスを自宅近くで降り、裏道に入ったところで、事件は起こりました。先ほどの男に拉致され、白いバンに押し込められたアレックス。男に殴られて気を失った彼女が気づいたのは、倉庫のような内装の家に連れ込まれたあと。男はアレックスに服を脱ぐよう脅し、全裸の彼女を狭い箱のような檻に閉じ込めます。檻はアレックスが両膝を抱えないと入れない小ささ。その檻を頑丈な麻縄で天井に吊るして、男は出ていきます。「おまえが、くたばるところを見たい」と言う言葉を残して。飢餓と極寒と絶望の中に残されたアレックス。誰か親族の男が助けに来ることを妄想するアレックス。たとえば、父が。兄は存命ですが、あの兄が救ってくれるわけがない。折しもアレックスに向けて放たれたのは、飢えて不潔なネズミの群れ。男が自分をネズミたちに食い殺させようとしていることを悟ったアレックスは、逆にこの状況を利用して生き延び、脱出できないかと考えます。「まだ死ぬことはできない、しかもこんな形で」という一念が、彼女を支えていたのでした。

 一方「若い女性が白いバンの男に誘拐された」ことは、即刻、犬の散歩中だった目撃者によってパリ警察に通報され、対策チームが組まれます。身長145cmの小男カミーユ、対照的な大男ル・グエン、オシャレな美男子ルイ、不細工でケチくさいアルマン。過去の「あの事件」を解決するためにチームを組んだ時と同じメンバーが招集されます。「あの事件」によって打ちのめされた傷が未だに癒えないカミーユ。誘拐と言う言葉が俎上にのぼるたびに傷をえぐられながらも、過去を教訓として、捜査を進める彼は、アレックスを誘拐した「犯人」の身元を突き止めます。それは病院の清掃係トラリユー。誘拐の動機が息子パスカルの復讐であることも判明。しかし、既にトラリユーは鉄橋から謎の墜死をとげ、アレックスの監禁場所は、もぬけの殻。

  カミーユが「ナタリー」という名で知らされていた若い女。その他にも、レア、ローラ、エマなどの偽名を操る謎の女、その本名はアレックス。彼女はなぜ、警察の保護を受けずに姿を消したのか。

 

 

 日本で翻訳、刊行されたのが2014年。その年末恒例”ミステリー格付け祭り”で、なんと”7冠王”に輝いた人気ミステリー。刊行後、わずか2週間目には重版がかかり、その後も重版を繰り返したという、もはや伝説的といってよい作品です。あの今村昌弘さんのデビュー作「屍人荘の殺人」が3冠に輝いたという偉業は、記憶に新しいところ。それが、7冠なのですから、すごいと言えばすごい。

  しかし、忘れてはならないのが、過去上位ランクインをはたしながら、敢え無く絶版になった「ベストセラー海外ミステリー」の累々たる残骸の山。不朽不出のSF歴史ミステリーと称賛されたキャサリン・ネヴィルの「8-エイト」、映画版もヒットしたスコット・スミスの「シンプルプラン」、ドロシー・セイヤーズの後継者とまで言われたマーサ・グライムズの「『禍いの荷を負う男』亭の殺人」、シャーリー・ジャクソンを超えたとのミネット・ウォルターズの「女彫刻家」、通俗ロマンス作家の華麗なる転身といわれたシャーリー・コンランの「悪夢のバカンス」、「消えた名作」として以前ご紹介したジェームズ・パリサーの「五輪の薔薇」、そして何と言っても人気作家として確固たる地位を築いたと一般認識されていた「消えた作家」ルース・レンデルの諸作。「8」や「禍いの荷~」などは、そもそも高評価の理由が皆目わからず、消えて当然的もしくは時代の仇花的作品だと感じるのですが、「悪夢のバカンス」など、いま読んでも十二分におもしろいサバイバル・ミステリーです。

  その点、ルメートルの諸作も「危険な兆候」が見える、見える・・・・・・「カミーユ」シリーズの他作品の人気がイマイチなのも、かなりヤバイ。その代わりにフランス製ミステリーとしてここ数年、耳目を集めているのがポール・アルテの本邦みやく