角田光代さんの「坂の途中の家」(朝日文庫)

 

 30代前半の専業主婦、山咲里沙子。まじめで善良そのものの夫、陽一郎、もうすぐ3歳になる”プチ反抗期”の娘、文香とともに”憧れの街”吉祥寺近郊に暮らしています。文香を近くの児童館や公園で遊ばせながら、顔見知りのママ友たちとの軽いおしゃべりを楽しむ毎日。心配していたママ友たちとの交流も、あっさりと、しかし親しさがあり、ドロドロとした関係とは程遠いものでした。早く帰宅した日には、文香をお風呂に入れてくれる陽一郎。平凡な幸せに包まれた、穏やかな育児生活。

 しかし、平穏な暮らしは、里沙子が裁判員の補充員に選ばれたことで一変します。二週間にわたって、平日の昼の時間が長時間、拘束されることになったのです。補充員であっても、正裁判員同様、霞が関の最高裁に通わなければなりません。実父母と不仲で疎遠な里沙子は、毎朝、浦和に住む折り合いの良い姑に文香を預け、法廷に赴きます。姑は友だちとの旅行をキャンセルした上で、快く文香を預かってくれたばかりか、里沙子の夕食作りの負担を軽くするために、文香を迎えに来た里沙子に栄養バランスのとれた手料理を持たせてくれるのでした。

  裁判は「子殺し」に関する事件を扱うものでした。30代になったばかりの、美しくて洗練された母親、安藤水穂が生後8か月の娘、凛を、水の溜まった浴槽に故意に落して溺死させたというもの。夫の寿志は育児に協力的で、姑も水穂を気にかけて援助を惜しまなかったのに、慣れない育児に追い詰められた水穂の犯行を防ぐことはできなかった、ということでした。殺人犯となった妻との離婚は全く考えていないと宣言する寿士。水穂が刑期を終えたら、彼女を支えながら、凛の冥福を祈り続けたいという決意は真摯なものでした。

  里沙子は、2年前には、7カ月の文香の育児がたいへんだったことを思い出します。乗り切れたのは、自分の中に、小さくても暖かい”おかあさんのもと”が存在していたから。無表情で被告席についた水穂に、里沙子は心の中で優しく問いかけます、あなたの中に”おかあさんのもと”はなかったの?、と。

  日を追うごとに、お互いに馴染んでいく裁判員たち。かれらの心証では、水穂は非難されるべき母親失格者。連日の裁判傍聴と、浦和ー霞が関ー浦和ー吉祥寺の行き来に疲弊していく里沙子。姑が持たせてくれる手料理を”重い”と負担に感じ始めたころ、里沙子は自分がこの事件に違和感を抱きつつあることを自覚します。すると、心に浮かぶのは”2年前に卒業したこと”ではなく、現在の里沙子を囲む世界に関するあれこれ。被告席へ至る道を歩いてしまった水穂は、本当に自分で自分を追い詰めたのか。 そんな水穂と自分を引き比べて、里沙子は心底を冷やす”ある恐怖の真実”に肉薄していくのでした・・・・・

  ”ある種の人々”が日常生活に、ごく自然に潜み、身近な弱者を静かに攻撃し続けているということ、それはけっして珍しい事例ではないこと・・・・・そして、その事実を世に訴えかけても、、まるっきり取り合ってもらえないということ・・・・・・ほんとうの”救い”は、はたしてどこに存在するのか・・・・・

 

 

  

 傑作ぞろいの角田光代さんの作品の中では、ドラマ化されたにも関わらず、さして話題にもならなかった作品「坂の途中の家」。

 しかし、抜群の完成度。あの場面のあの描写は、こういうことだったのか、と全て胸に落ちます。幾多の既存の傑作群のクオリティを、完全に超えています。

 「八日目の蝉」より深く、「紙の月」よりも非情。

 なのに後味は、良いとまでは言えないけれど、悪くもない。

 終わってみれば、死屍累々、焦土と化した大地に残される、覚醒した女。茨の中でもがき、傷ついた手には「真実を暴く」鋭利な剣。

 弱いかもしれないけれど、もはや無防備ではありません。何と戦うべきか、たぶん忘れることはない。

 今まで読んできた角田さんの諸作は、いわば”助走”にすぎず、この作品ではじめて本領発揮したのでは、とさえ思える作品です。

 

 それにしても、先日読み終えた唯川恵さんの大好評人気作「セシルのもくろみ」と、話題にさえ上らなかった角田光代さんのこの「坂の途中の家」。ふたつとも「小説」であること。それが現実。なんて不可解な「現実」なのか。

 

  ”人間社会に潜む邪悪な何か”を覆い隠していた砂のようなものが、少しづつ少しづつ取り除かれていく。そして、くっきりと浮き彫りになる”何か”の正体。

  傑作ミステリーを読んでいるかのような、真実へのアプローチ。

  実にみごと。

  へたなミステリーの「WHO」や「WHY」を軽く超える「驚き」に直撃されること必至です。

 

  同じように裁判を見守ってきた裁判員たちは、誰もそれに気づかぬまま、裁判は結審してしまいます。

  里沙子がその恐怖を懸命に訴えても、一向に理解してもらえません。

 他の裁判員たちが、冷淡だったり、鈍感だったりするわけではありません。みな、共感力が高く、常識をそなえた善き社会人たちです。

  無職の身で、求職中にも関わらず、自身の就活のための時間を裂いて、凛ちゃん殺害事件””殺人母、水穂に関する新聞やネットの過去記事を読みこんで勉強した上で、裁判に立ち会った青年。彼は「僕は未婚の男で、育児を経験したことがないので、被告(水穂)の気持ちをほんとうに理解する自信はないのですが」と、前置きした上で、意見を述べます。彼は実際は、少しでも水穂の心情に寄り添いたいと思っているのです。

「私には、もうひとつ理解できないんだが」が口癖になってしまった銀髪初老の紳士。「理解できない」と言いながら、「理解したい」のです。

「自分は子育てが楽だった。被告は心が弱く、甘えている」という主張に終始するかに思えた年配の夫人。彼女さえ「子育てというものは、必ずしも楽にいく母親ばかりではない」と態度を軟化させ、水穂へ同情を見せはじめます。

しかし、かれらの”無私の善意”の隙間を、”邪悪な何か”は容易にすり抜けてしまう。たったひとり、それに気づいた里沙子は懸命に訴えかけ、裁判員仲間たちも真剣に耳をかたむける。すべてが、みごとに、すれちがう。そもそも、仲間たちは、里沙子が「何のことを話している」のか、そこからして皆目、想像できないのです。

 そして、里沙子が最終的に選んだ手段は〇〇。

 「被告への同情」さえ、いえ、それこそが、”何か”の大好物であることを悟った里沙子。彼女に残された最後の選択肢。これ以上、水穂を追い打ちしないためにできる、たったひとつのこと。

 

 「妻と離婚する気持ちはありません」

 ぜひ、全編読了後、この文章を読みなおしてみてください。

 背後に無限に続く煉獄が・・・・・・ほら、見えませんか。