「今日は何を食べる?」
うちの奥さんと
一緒に外でご飯を
食べる時に
毎回聞くセリフ。
いつもなんだか
時間が無いので
「うどん!」って
言われるんですが
今日は違って
「なんでもいい」
って言うので
聞き返しました。
「う○こでもいいの?」
小学生の男子か!
ってツッコまれる
ミズコウアキヒコですこんにちは!
いや、それでも
「う○こでもいい!」
って言い張るので
今日はう○こを
お昼に食べました。
車に乗って
そこへ向かう時
「もしかしてカレー?」
って言われて
ちょっと負けた
ような気がした、、、
つーか、アンタ
ホントにう○こなら
怒るでしょうが!(当たり前)
ま、本物の
そんなお店は
新宿とかに
ありそうですが(苦笑)
さて、先日
ある本を
読んだんですが
「あぁ、これなのか」
って思ったんです。
最近よく聞く
「パラレルワールド」
同じ人が歩む
違う世界が
他に存在すると
言うモノです。
これって、
目に見えない
不思議な世界だと
一見思えますが
実はとっても
単純な世界だと
思ったんですね。
本の中には
そんな言葉は
出てきませんで
勝手にワタシが
「これなんだろうな」
って思ったんです。
ある女性が
派遣社員として
働いていた会社。
結構職場にも
馴染んでいたし
喜ばれていたんで
「契約更新してくれるのでは?」
と密かに思っていたら
契約が更新されずに
その会社からは
離れないといけないと
言う事になりました。
その最後の日に
職場の人達が
送別会をして
くれると言うので
参加をしました。
みなさんが、
自分の決定では
ないにせよ
契約更新されず
職場を去る彼女に
申し訳ないような
感じで接してくれ
ほめてくれたり
励ましてくれたり
優しく接してくれる
そんな姿を見ていると
「こんな素敵な人達と
僅かでもご一緒させて
もらった私は幸せだ!」
って思ったそうです。
それまでは
「役に立ってるよね?」
「みんなと馴染んでるよね?」
「何がいけないんだ?」
「正社員のあの人より!」
「他の人より自分のほうが!」
なんて気持ちで
「酷い仕打ちだ!」
「大事にされてない!」
「認めてもらってない!」
なんて感じで
最悪な感じだったそう。
そう、これこそ
世界が一瞬で
変わる瞬間だと
思ったんですね。
今まで立ってた
世界の裏側に
違う世界があり
同時に進行してる。
自分の価値を
認めてもらえず
人や世間や
景気を恨んで
「何も良い事がない」
と思い込んでた世界。
会社の中も
殺風景に見え
休憩中に食べる
オヤツも味気なく
帰り道も苦痛なだけ。
お友達と逢うと
「会社は見る目がない」
「酷い扱いを受けてる」
「使い捨てされている」
「良いように利用されてる」
「次が見つかんない」
「景気が悪いせいだ」
なんて愚痴を言い
いつしかお誘いも
来なくなりました、、、
同じ世界でも
ほんの僅かな
時間ではあるが
素敵な人達と
仕事が出来た
事実を見出し
「自分は幸せだったんだ」
と気づいた途端に
世界が変わります。
世の中は
素敵な人が
とっても多く
笑顔や思いやりに
溢れているんだ。
通勤途中でも
顔を覚えてくれ
挨拶してくれる人。
店員さんが
笑顔で商品を
渡してくれる。
駅でつまづいたら
「大丈夫ですか?」
と声を掛けられた♪
実はそんな
素敵な世界が
同時に進行を
していたんですね。
講座の中で
時々使うツールで
マジカルアイと
言うツールがあります。
目の焦点の
当て方によって
「見える世界が変わる」
と言うのを体感する
ツールなんですね。
昨日の記事でも
少し触れましたが
世界を作るのは
自分自身なのかも
知れません。
「どこを見て」
「どんな言葉を言う」
たったそれだけの
違いなのかも
知れません、、、、
結婚や恋愛でも
間違った言葉で
心地良く無い
世界にいる人を
見かけたりします。
上田正樹さんも
「悲しい色やね」
で歌ってました。
「オレの事好きか?」
とアンタは聞くけど
そんなんもわからん
ようになったんか?
ってね(?)
うん、ちょっと
判りずらいか、、、
恋愛では
「愛してる?」
と尋ねるのは
「愛されてない自分」
を避けたいから
聞いてしまいます。
つまり
「愛されてない世界」
に生きているんです。
巷で若い
カップルなどが
店内でこんな
会話してたり
しますよね(苦笑)
傍で聞いてると
「どうでもいいよ!」
とか思いますが(コラー)
でも、
言葉だけなら
「愛してるよ」
ってウソでも
言えるのに(笑)
「言葉にして欲しい」
と願う人が多い。
ホントに
「意味ねーがっ!」
と思いますね、、、
ま、水河家では
男性陣の中で
「女心判らない選手権」(自主開催)
ではぶっちぎりで
優勝のワタシですが(オーイ)
親子関係では
親は子供を
無条件で
愛してますから
あんまりそんな
セリフは言わない。
ま、一部
長期出張から
帰った時に
息子に向かって
「さみしかった?」
としつこく聞いて
「うん」と「チュー」
を強要する母親が
祐天寺 にいるようですね。
ま、それは
例外だとは
思うんですが、
例外はあれど
殆どの親は子供が
自分の事を
愛していようが
愛してなかろうが
関係無いんです。
自分がその子を
愛していること、
そしてその子が
幸せでいる事が
自分の幸せだから
聞く必要も
無いんですね。
そう、そこは
「愛のある世界」
なので子供が
どうであろうと
確かに愛が
存在する世界です。
そこには
自分と同じだけの
愛情を持って
欲しいとか
自分をもっと
愛して欲しいとか
そんな想いは無い。
その思いの
重さや量など
期待もしてない。
もちろん、
少しさみしい
時があるかも
知れませんが(苦笑)
まあ、同じ
「愛」と言う
言葉をとっても
「自分を愛して欲しい」
「自分を幸せにして」
「自分くらい思って」
と言う時の「愛」と
子供や親を思う
「大切・大事・愛しい」
と言う場合の「愛」は
意味が変わります。
江戸時代には
「恋」と言う言葉は
あったそうですが
「愛」と言う言葉は
なかったそうです。
英語の「LOVE」
を訳した言葉は
「ご大切」と言う
言葉だったそうです。
つまり、
愛とは相手が
どうこうじゃなく
「自分が大切に想う」
と言うのが愛。
相手に求めるのは
自分を満足させる
「欲」であると
言っても良いでしょう。
もちろん、
親だって子供に
対してなんらかの
欲はあると思います。
それは
「期待」とか
「希望」とか
言う形をもって
時には押し付けて
いるかも知れない。
それに応えないと
酷い言葉や
冷たい仕打ちを
してしまう時も
あるかも知れない。
ま、それに
ついては
話が長く
なりますので
今日は割愛(笑)
でも、
どんな時でも
「自分の受取り方」
の問題だし
「その言語化」
が世界を作るのは
間違いないと思います。
自分自身が
どっちの世界で
生きたいのか?
良く無いことばっか
起きるという人は
少し自問をして
みると良いかも
知れませんね。
「どの世界で生きる?」
今日のお昼に
食べたのは
う○こじゃない!
あれはカレーだ!!(判ってる)
「これはおいしいジュース出るストロー♪」(違)
※昨今、アメブロの削除が
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