数年前からずっとずっと気になっていた、
「石田徹也」の作品展を見てきた。
名前は知らなくてもこの画風、見たことある人いるんじゃないかな~
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作品はどちらかというと暗いトーンのものが多いんだけど、
重さはあまり、ない、ように感じた(私目線)
苦悩、疑問、理不尽
怖れ、不安、憐憫
母体回帰、外界への恐怖、自己愛、救済
・・・書かれている絵の内容からそんなテーマを感じたけれど
なんだろう。
重くない。
重くないけれど、私の中の重い部分と反応する感じ。
でもその反応すらも絵画とのコミュニケーションの一環って感じで
この人の絵を見てしまったら自分はどうなってしまうのだろう・・・
と思って、怖くてずっと見に行けなかったけど
なんというか、
闇的なものを見てしまったときの
あの変な黒い影響力に飲み込まれていないことが
すごく不思議な気分。
でも
それはたぶん
この人はどんな気持ちでこれを描いたのだろう
という視点ではなく
私はこの人の絵を見るとどんな気持ちになるのだろう
という視点で見たからなのだと思う。
いい意味で絵に深入りしない感じ。
深刻なテーマの絵だが、あくまでも「作品」として見ること。
深刻なテーマも、ただ「あるもの」として見る。
たぶん作者は絵を描いただけで
そのテーマたちについてどうにかしようとしていない。
もちろん作者自身にそのテーマについての思いがあるから
作品ができあがっているのだけれども
そんなテーマを抱えている自分について
過剰に憐れんでいない。
でも一方で
そんなテーマを描くことで
絵を見た人がそれをどうにかしようとするのは止めない。
そのテーマについて
他人や社会を糾弾するのか
何も変えられないと諦めるのか
自分も、と同調するのか
愚かだな、侮蔑するのか
見た人それぞれの反応を決して否定しない。
石田徹也の作品は、ただ「あるもの」としてそこに存在することで
絵を見た人とコミュニケーションをとっている
そんな感じだった。
うーん。
言葉にすればするほど
何かから遠ざかる気がする(笑)
でも
きっとまた見に行くと思う。
それくらいこの人の作品が好きだなぁって
そう思った。
救済がテーマの作品(2000年)
作者、井川遥が好きだったんだって。
そういえば向かって右の子、井川遥に似てる気がする・・・(笑)

