子ども時代、まわりから
「響子ちゃんは苦労しらずでほんとにいいわね~」
と言われることが多かった私。
まわりというのは、近所のおじさんおばさんだったり、同級生だったり。
ときには怖い先輩に、半ばお呼び出しのような形で、だったり。
「そうなの、そうなの。いいでしょ~♡」って、生まれてきた環境がちょっとよかったことをありがたく思い、自慢できるくらいだったら楽だったのだろうけれど、とてもそうは思えませんでした。
逆に、私は苦労しなくちゃダメなんだ、という変な義務感に苛まれてしまいました。
別に今となっては、実家はごく普通の家ですが、昔は名家だったらしく、狭い田舎の社会では家柄がよくお金持ちという見方をされていました。
だから、早く家を出よう、私がこの家の子だと知られないところに行こうと、子どものころは、そんなことばかり考えていました。
ちょっと珍しい旧姓の苗字も恨めしくて、どこにでもいるありふれた苗字だったらよかったのにとどんなに思ったことか。。。
客観的に見たら、自意識過剰もいいとこですね(笑)
でも、小学生中学生くらいの私にとっては、
「響子ちゃんは苦労しらずでほんといいわね~」
という近所のおばさんの声や、
「響子ちゃんが一緒だと、うちの親は絶対ダメって言わないから一緒に来て」
という同級生の声、
それから、怖い先輩の、
「お父さんが顔が利くからって、いい気になってんじゃないよ」
なんていうひとことひとことが胸に突き刺さって、そのたびに勝手に傷ついていました。
いいでしょいいでしょ♡なんて少しも思えず、妬みや僻みといったドロドロしたものをキャッチしては、私が私でいることを否定されているような気がしていました。
なにもかも平凡で、ふつうでいたいというのが、心からの願いだったのです。
だから、大学進学と同時に家を出てからというもの、苦労する道ばかり選んで、地味に生きてきたつもり。
苦労知らずな部分を取り戻さなきゃダメなんだって信じてたし。
ちょっと目立つことがあったりすると、あ、隠れなきゃって思ったし。
誰も非難したりしないのだろうけれど、なんだかすごく気になるのです。
これって、やっぱりトラウマなんでしょうか。
トラウマだろうとなかろうと、いい加減、この変なクセを手放したいんです。
私、今でも十分幸せなんだけれど。
でも、
どうしても、手にしたい未来が見えてしまったんです。
そのために、できることは何でもやろうって決意しました。
あんなに願っていたふつうの人になれたのに(笑)
トラウマさえも払拭したいくらい、今の私は、その未来を取りに行きたい。
そうはいっても、この20年、ずっと地味にふつうで生きてきてるので、
こんなこと言ってもいいのかな?
こんなことやってもいいのかな?
と、遠慮している私もやっぱりまだいるんですよね。
怖いし、めげそうだし、自信もないし。
見えた未来だって、私が勝手に妄想しているに過ぎないかもしれないけれど。
それでも、生まれ変わった気持ちで、なんでもできるって信じたくて。
何よりも、私のことを信じてあげたくて。
”がんばれ、私!” なのです。
