1800年代に、
ラルフ・ワルド・エマーソンは、
「自然の中の、顕在また潜在するところの神秘を直観し、
それを言語のもつ神秘性と結びつけて、
直観によってとらえられた自然の神秘は、
同じく直観的創造的文筆によって言語表現できる。」
と、自然からの超越主義を唱えた。
そして、牧師だったエマーソン自身が、
「宗教にあっては、
直接個人が神から啓示を受けうる。」
と、説いている。
では実際に、エマーソンの思想の継承者は、
超越思想を実践して超越者、または神秘者に
なれたのかと言うと、、、
社会的に証明することはできなかったらしい。
とは、言っても、エマーソンが伝える言葉の中に、
今の僕たちにとって、学べる内容は多い。
読んでいると、刺激を受けることがたくさんある。
例えば、、、
「自己に固執することだ、
真似るものではない。
自分自身の天分ならば、
人は全生涯をかけて育てて来た
累積的な力をこめて、
常にこれを披瀝することができる。」
※披瀝(ひれき)とは、考えを全て打ち明けること
さらに、、、
「借り着の才能ならば、それは当座しのぎの
なまはんかな所有物にすぎない。
万人それぞれが最もよくすることができる
仕事というものは、その人を造った
造物主以外に教えられる人はいないのだ。」
言葉の表現は難しいが、
こんな事も伝えている。
「私どもは無限の天地のふところに抱かれ、
私どもはその真理を受け、
そのはたらきをあらわす手段とされている。
私どもが正義を質し真理を見抜く時、
私どもは自分では何もしているのではなく、
その光を我が身に通しているに過ぎない。」
僕は、この内容を、自分の内なる
自分自神の輝きを放つことだと捉えている。
また、次の言葉も、深い!
「社会は一種の合資会社であって、
社員は株主全部によりよくパンを確保するため、
パンを食べる人の自由と教養を
放棄する申し合わせをしている。
社会で最も要請されている美徳は
みんなにならうことである。
自己信頼は社会の忌み嫌うものである。
社会は真実と創造的人間を愛さず、
美名と慣習を愛する。
一個の人間になろうと思う人は、
世間に迎合しない人にならなければならない。」
いまから2世紀も前の時代と、
現代では状況はだいぶ変わって来ているが、、、
僕らは今、自己を信頼し、肯定し、
周りに流されるのではなく、
自ら考えて行動することが
とても重要になってきていると言える。
そして、答えは、、、
「直接神から個々の人間へ伝達される」
と、エマーソンは伝えている。
では、答えは何もしなくても、
聞こえてくるのかと言うと、
僕はそうとは思っていない。
「神」という言葉が最適なのか
人によってフィルターがかかってしまうかも
しれないが、、、
顕在意識の思考とは異なる
直感(カン)に従って
行動すると、、、
自分自身の成長の度合いに合わせて、
最適な場所に導かれ、最適な人に出会い、
最適な言葉に出会う。
時には、障害に直面したり、
災難に思えることを体験するかもしれないが、
災難なことも経験したら、”業”が解消されたと
手放すことによって、人生は好転してゆく。
そうやって、成長し、自己を信頼して
自分に割り当てられていることをやることが、
最も望む人生へと最短で進む方法と言える。
こんなことを書くと、今までの僕は、
「”清貧”に生きなければいけないのか?」と、
感じてしまったが、、、
内なる自然の法則に沿った導きに従い、
莫大な富を創造し、豊かに幸せに生きることは
可能だと信じている。
と、言うか、、、
むしろ逆で、莫大な富を創造し
豊かで幸せな人生を送りたいなら、
内なる導きに従えば良いと感じている。
ロンズー

