こんにちは、千鶴です。
ノートに書いた記事を、ここでも紹介させてください。
母が逝って、数ヶ月が経ちました。
不思議なことに、今の私の中にあるのは後悔じゃないんです。
むしろ、静かな達成感と、大きな解放感。
そして心に残っているのは、愛情だけ。
でも、そこに辿り着くまでが、本当にしんどかった。
介護って、体力的にきついですよね。
私は遠方から通っていたので、片道最大二時間かけて、
週の半分近くを母のそばで過ごしていました。
薄暗い病院の廊下、ほとんど意識のない人たちの気配、
日に日に小さくなっていく母の手。それだけでも十分つらかった。
でも、私を本当に追い詰めたのは、そこじゃなかったんです。
介護が始まってから、自分の中にある「動けない理由」に気づき始めました。
母のそばにいたい気持ちはある。
奇跡が起きてほしいとも思っていた。
でもリソースを注ごうとすると、何かがつっかえる感じがして。
仕事への影響、体力の限界、妹との意見の違い。
そういう現実的な摩擦の奥に、もっと深いものがあったんです。
なぜ私が、ここまでしなければいけないんだろう。
この言葉が浮かんだとき、自分でもびっくりしました。
そして次の瞬間、こんな気持ちになる自分を責めた。
親が死にゆくというのに、なんという娘だろうって。
でも、その問いは正直なものでした。ごまかせなかった。
母は認知症が進んでいて、昔のことはほとんど覚えていません。
でも私にしてくれたことは覚えていて、
「ありがとう、大丈夫だよ」と繰り返してくれる。
すっかり穏やかになった母に、私は安堵していました。
でも同時に、心のどこかで思っていた。
この人は、あのことを覚えていないんだ。
あのこと、というのは、二十年以上前のことです。
私が生まれて初めて「助けて」と言った日のことを。
この続きは、ノートの有料記事で書いています。
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