自分の居場所って、自分。
やさしい人
心穏やかになる人
気を使わない人
などではなく、自分。
もちろん、そういう人が
居心地のよさを
感じさせてくれるし
助けてもくれる。
力をくれる。
そして、そういう人たちは
自分という居場所に
しっかり腰を据えたとき
それに共鳴して
縁が繋がる人たちであり
彼らと共生することに
なるのだろう。
臆することなく
自分はこうだ、というものに
腰を据えたとき
それがいい悪いじゃなく
自分はこうなんだ、というものと
一緒になったとき
それを受け入れて
引き受けたとき
自分と合致したとき
うまく言えないけど
なんかこう
心に澱みがなくなる。
スッキリする。
そして、何の理由もなく
これでいいのだとわかる。
それが自分の居場所。
そこにいるとき
そこにふさわしいものが
ちゃんと集まってくる。
考えることも、することも
わかるようになる。
その手段も与えられる。
訂正したり
よりよくしたり
したらいいものがあるなら
それもわかるようになる。
だから、必要なのは
まず、自分と合致すること。
自分と一緒にいること。
自分以外のものに合わせて
おりこうさんにならないこと。
そこで正解を探さないこと。
自分の居場所でないところから
去る勇気を持つこと。
自分との居心地がいい
生き方を探す方が
誰かが言うことや
何かで見聞きすることを
模倣するよりも
それを上手にやることに
必死になったり
できる、できない
そうなる、そうならない、に
価値を見出すよりも
ずっとずっとうまくいくし
ずっとずっと幸せになることは
自分の体験から
間違いない、と言いたい。
そこでの幸せとは
自分が考えられる幸せとは
ちょっと違う。
どんなことが起こるか、とか
どんな状態の中にいる、とか
誰がどうとか、何がどうとか
そうしたことに関係なく
心が満ち足りる、そんな幸せ。
何ものにも変えがたい
永遠の幸せ。
私たちは
誰かや何かが欲しいのではない。
安心が、やすらぎが
満ち足りた感じが、欲しいのだ。
そのために必要なものが
自分の欲しいものだと
思いがち。
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それも悪くない。
私たちを喜ばせてはくれる。
そして、やがて、飽きる。
また、やがて、失う。
それは満足を手に入れる
手段なのであって
本当に欲しいものはそこにない。
自分という居場所にいると
それが手に入る。
勝手にやってくることもある。
手段を得ようとすると
必ず終わるけれど
自分という居場所は
終わることがない。
自分について行こう。
人が自分についていくのを
見ていよう。
それが唯一の
私たちの居場所だと
強く思うこの頃。
自分とは
神へと続く自分。
自分、というものが
本来ない場所へと
続く道。
奇跡のコースを学ぶ人が
本当に楽な気持ちになって
安心して進んでいける
そう感じたお話でした。
お話会を終えた今
心がすごく軽いのです。
音声ファイルで
ぜひお聴きください。
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