こんにちは、エミチカです。
さて、前回までのストーリーでは、
三重県四日市にいた私が、
あれよあれよという間に、
海外進出するまでをお送りしました。
私が海外進出できた理由、
そのひとつは本当に「運」だったなと思います。
「運」なんて、そんなあやふやなもの・・と、
思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。
実は、その運をつかむために
私は日頃から気を付けていることがあります。
それは、
「チャンスが来た時に、
躊躇せず受け入れられる態勢」
を常に作っておくことです。
チャンスはいつやってくるか分かりません、
だからこそ「いつでも」それを受け取れる
私であることが何よりも大事なんですね。
もうひとつは、
準備万端になってから取り掛かるのではなく、
初めてのことも、
学びながら進めていくマインドかしら。
このあたりは、また追々別でお伝えしていきますね。
さて、そんな私のお次のSTORY。
今回は、私を経営者にしてくれた
大事なことについてお話したいと思います。
・・
海外進出を果たした私。
アジア圏で商品は大ヒット、製造待ち、
累計40万個販売のロングセラー商品を
生み出します。
そして、いつのまにか事業転向から
わずか5年で年商は7億円を超えていました。
その成功の理由の裏には、
たくさんの方のご協力もありました。
運もあったように思います。
そして、一番の理由をたったひとつあげるなら
私は「EMICHIKA」という
ブランドを間違いなくあげるでしょう。
私自身が広告塔となったビジネス戦略、
これは前回も少しお話しましたよね。
この戦略をとったことで、
商品の一貫性や世界観、また
メッセージも強くなっていったと思います。
でも、マーケットでの効果以上に
このブランドが「私自身」に
もたらした効果がとても大きかったのです。
それは、商品を多くの方が
知って、手に取り、買って頂く度に、
自分自身の広告塔としての責任が
一層強くなっていったんですね。
広告に
パッケージに
HPに
あらゆるところに私の名前と顔が
掲載されていましたから。
当時ブランドコンセプトだった
「もっと好きになれる『新しい自分』へ」を
私自身が誰よりも体現できるよう、
自分磨きにも励んだものです。
その一環で、ミセス日本グランプリにも挑戦、
無事グランプリを頂き、ティアラを被せて
いただきながら、たくさんのフラッシュを
浴びる経験もしました。
50代過ぎての挑戦、ティアラを
頭に載せていただいた時は感無量でした
たくさんの美しい方に囲まれ
初めは気後れしながらの挑戦
ちょっぴり話がそれてしまいましたが・・
ブランドというのは、
お客様との約束だと
一般的に言われています。
しかし、私にとっては
それ以上のものとなりました。
いつの間にか
自分が掲げたブランドが
「それに恥じない生き方をしよう」
「それに恥じない経営者になろう」
と私自身のあり方の「道標」へ、
つまり「私自身への約束」へと
変わっていきました。
言葉の力、
そして先に宣言をする力は、
想定以上のパワーを持つと私は思っています。
今思うと、
EMICHIKAというブランドが
私を「経営者」へとしてくれました。
しかし、表向きの私は
これまで書いた通りでしたが、
本当の私はちょっと違っていました・・
ブランドに注がれる
たくさんの視線への責任。
きらびやかに見える生活の裏で、
私は一切、力を抜くことができず
「必死な毎日」を過ごしていたのです。
次回からは、
今まで誰にも語ってこなかった
成功の裏の私の苦悩を少しずつ
お届けしたいと思います。
今は、どんな人の私生活も
SNSなどで簡単に垣間見れる時代です。
でも、見える世界の裏には
必ず見えない世界もある・・
SNSをビジネスに使われていて
発信に懸命になっているあなたへの
何かヒントとなればうれしいです。
ぜひ次回STORY6も読んでくださいね。
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