先日の9月23日(秋分の日)の夜、寿ぎ庵さん(@kotohogian)のインスタライブに、

「妄想家 観音ちゃん」(@kannonchan22)とご一緒にゲスト出演させていただきました💕

 

 

その日のインスタライブでは主に、その前日に体験させていただいた、「架け橋”渡る”実践会」でのお話をさせていただきました。

 

ご興味のある方はご覧になってくださいね😊

 

 

 

寿ぎ庵さんで、久しぶりの「実践会」を体験させていただいたわけですが、

個人的に最近、ちょっと衝撃的な出来事があったおかげで↓

 

「『無意識にやらないといけないと思っていたこと』は実はやらなくて良かったんだ~💦」とわかって楽になり

 

その分、「今度こそ!『本当に自分がやりたいこと』だけを、深く深く掘っていこう!」

と思っていたタイミングだったので

 

 

 

 

とても良いタイミングで「架け橋”渡る”実践会」を体験させていただいたと思います。

 

「もう自分からは逃げられない」

「よそ見をしている場合じゃない!」

「外側を見ないで、自分の内側だけを見よう!」

という覚悟ができていたのが、本当に良かったです。

 

 

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今回の実践会のテーマは、「自分ビジネスの告知文を書いてみよう」とのことだったので

まず、「この商品をどんなお客さまに届けたいか」ということを考えました。

 

 

「自分ビジネス」において設定するお客さま「過去の自分」だということは、

今まで、寿ぎ庵さんやさやりんごさんなどから何度も教えていただいていました。

 

「過去、苦しい思いをしていた自分に届くような商品にすると、その商品は

必要としてくださる方に必ず届く」ということも理解していたつもりでした。

 

なので「自分が商品を届けたい過去の自分って、いつの自分だろう?」

ということは、今までにも何度も考えたことがありました。

 

でも実は今まで、

「いつの時代の自分を、お客さまとして設定したら良いのか」

ということがピンときていなかったんです。

 

なぜかというと、私は感情を感じるのが苦手な上

どちらかというと「豊かな家庭」に育ち、「苦労知らず」で「平凡な」人生を送ってきたと思っていたので

 

私はそんなにインパクトのある苦しい思いをしたことがない」

「ネタなるようなことがない」

と思っていたのです。

 

きっと自分の感情を認めてあげずに

「恵まれている私なんかが苦しいなんて思っちゃだめ💦」

って、どこかで思っていたのだと思います。

 

・・・でもようやくここにきて

「外側を見ないで、自分の内側だけを見よう!」

というスイッチが入っていたので

 

先日の実践会では、今まで私があまり思い出すことのなかった自分の姿を

思い出すことができました。

 

 

・・・それはちょうど20年前の2001年9月28日

 

父親が亡くなった日の朝、病室に駆けつけた自分の姿でした。

 

 

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その日の朝、父は肺がんで亡くなったのですが

私は死に目に会えなかったので、電車とタクシーで急いで駆けつけたのです。

 

 

 

 

そして病室に入り、私が父の顔を見た瞬間、

看護師さんが病室に入って来られました。

 

父は医者で、父が亡くなったその病院は、父が長年勤めていた病院だったので

父のことを慕ってくださっている方々がたくさん働いていらっしゃったのです。

 

その看護師さんも父を慕ってくださっていたようで、

病室で、亡くなった父の顔を見て泣かれました。

 

今考えるとすごくありがたいことだと思うんですが

その瞬間の私は、

「外部の人が入ってきたおかげで、自分が悲しむタイミングを失ってしまった」

「心に土足で踏み込まれた」

と思ってしまいました。

 

また、その時に母が私の耳元で

「保険金が入るから、お金は大丈夫よ」

って言ったのにもショックを受けました。

 

今考えたら、その言葉も母の愛からだったということがよくわかるのですが

「お父さんが亡くなって第一声が、よりによってお金のことかよ!」

って私は思ったんです。

 

私は長い間、母との葛藤があって

現在はほとんど解決していますが

当時はすごく悩んでいました。

 

私は一緒に暮らしていた祖母(母の実の母)の存在も、とても重く感じていて

この三世代の女性の「共依存関係」がとても苦しかったのです。

 

父が亡くなり、兄は家を出ていたので

これから祖母と母と私の三人での暮らしが始まるなんて耐えられないと思いました。

まるで地獄のようだ、と思いました。

 

 

でもその日は泣くタイミングも逃しましたし

その後実際、お金など、現実的に困ることもなかったので

 

「ちょっと早かったけれど、親が亡くなることなんてよくあること。

取り立てて不幸な出来事じゃない」

って判断してしまったようで

 

「自分が悲しかった、辛かった」

ということを認められませんでした。

 

だから、「父が亡くなったこと」に関して

「悲しかった、辛かった」

という印象や記憶がほとんどなかったんです。

 

・・・でも20年後の実践会でようやく思い出しました。

 

20年前のあの日の朝、私はとても悲しくて、孤独で、絶望していました。

 

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その後もずっと、

「家の中で孤立している」

「家の中に味方がいない」

という感覚が続きました。

 

豊かな家庭で、現実的に困っていることはなかったけれど

家にいる時、心はいつも苦しかったです。

 

だからこそ私は「物と交流する」ことを始めたんだと思います。

 

「物とお話する」ことは

「家の中に味方をつくる」ことでした。

 

家の中にありのままの私を受け入れてくれる人間はいなかったけれど

物は、私のありのままを受け入れて、味方になってくれました。

 

逆に言えば

「物と交流しないではいられない」ほど

私は家庭内で孤独だったんだな、と思います。

 

 

孤独を感じ、絶望している自分の「一番象徴的な姿」

20年前の、父が亡くなった日の朝の自分だと思えるので

 

なぜかほとんど封印していた記憶ですが

思い出すことができて良かったです。

 

 

ちょうど20年後という、節目となる時期に思い出したのも

何か意味があるように思えます。

 

父と、過去の自分からの応援が

私に届いたような気がします🌈

 

そして、20年後の現在

家庭内でとても楽に、毎日幸せに過ごしている私に

「よく頑張って乗り越えてきたね😊🌈」

と言ってあげたいです。

 

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今まで思い出すことのなかった「その日の自分」を思い出したことで

これから私の「自分ビジネス」への取り組み方も変わると思います。

 

今まで、「自分ビジネス」を頑張りたくても

なぜか「情熱」があまり感じられなかったのですが

 

「あの日の私に届けよう!」

「あの日の私を助けに行こう!」

 

と思うと、きっと心の底から情熱が湧いてくると思います。

 

 

そんなことを考えていたら

父が亡くなった日の次の日のことを思い出しました。

 

コスモスと青空がとても綺麗な朝で

「こんなに私が悲しくても、世界は綺麗だな✨」

と思ったのでした。

 

その日の私がそう思えたのは

「大丈夫だよ!世界は綺麗でとっても楽しいよ!🥰」

って20年後の私が言っていたからなのかもしれません🌈