image

 

いつでもハロウ!

まじかるクラウン

『人生の道しるべ 』

もりわきまりこです

 

【自己紹介 ①】不登校になるまで

【自己紹介 ②】働く引きこもりイラストレーター

【自己紹介 ③】自分を棚に上げたままでカウンセラーになりました(最終話)

 

雑記つれづれ・・

 

image

 

人生の行き詰まり

一番生きづらかった時期

どうにもならない苦しさ。

 

そういう時期に、

カウンセリングを受けることで、

少しずつ抜けていくことがあります。

 

日常のあれこれに、以前ほど振り回されなくなる。

 

人の言葉に、前ほど大きく揺れなくなる。

 

自分の気持ちを、以前よりも整理できるようになる。

 

ああ、よかった・・

めでたし、めでたし。

 

と、思いきや。

 

ここでまた、

道が分かれることがあります。

 

カウンセリングを受けていたという事実を、

自分の中でなかったことにしたくなる。

 

 

今、以前ほど振り回されない生活を送っているのは、

「もともと、わたしはこういう人でしたけど?」

という顔をしたくなる。

 

 

 

人生が行き詰まっていたこと。

 

一番生きづらかった時期に、

誰かの手を借りながら、

自分の考え方や感じ方を見つめ直したこと。

 

カウンセリングを通して、

人生観が少しずつ変わっていったこと。

 

その一連の流れを、

まるっと黒歴史扱いしたくなる。

 

そういうことがあるのだと思います。

 

 

ここまで読んで、

 

カウンセリングを受けて人生観が変わったなら、

それは黒歴史ではないのでは?

 

と思われた方。

 

ビンゴです。

 

わたしも、そう思います。

 

けれど、人の心はなかなか複雑です。

 

現実としては、楽になっている。

 

以前よりは、日常を生きやすくなっている。

 

それなのに、

「あの頃の自分は見たくない」

 

「弱っていた自分を知られたくない」

 

「誰かに助けてもらった自分を、

 なかったことにしたい」

 

そんなふうに、

都合の悪い自分をしまい込みたくなることがあります。

 

それは、まだその人の中に、

誰かに見せて見栄えのいい自分でいたい。

 

一目置かれる自分でいたい。

 

かっこ悪い自分を知られたくない。

 

という思いが、

残っているからかもしれません。

 

 

カウンセリングを受けたことそのものが、

恥なのではありません。

 

 

image

 

 

「苦しかった自分」

 

「どうにもならなかった自分」

 

「助けが必要だった自分」

 

「自分では整理しきれなかった自分」

 

その一連を、

自分自身が恥だと思っていると、

 

カウンセリングを受けていた過去まで、

まとめて隠したくなってしまうのです。

 

 

わたしは、ここにさみしさを感じます。

 

カウンセリングに来たことを、

わたしに感謝してほしいとか、

 

ずっと覚えていてほしいとか、

 

そういう、クソしょーもない話ではありません。

 

 

そっちじゃなくてーーー

 

あの時、

必死に生きていた自分自身を、

そんなふうに扱ってしまうのかい・・。

 

そこに、深〜くさみしさを感じるのです。

 

だって、そんときの自分は、

ホントのホントに、何とかしたかったのだと思います。

 

楽になりたかったのだと思います。

 

このままでは苦しいと思ったから、

何かを変えようとしたのだと思います。

 

たとえ不器用でも、

たとえぐちゃぐちゃでも、

たとえ人に見せたくない姿だったとしても、

 

その時の自分は、その時の自分なりに、一生懸命だったはずです。

 

それを、なかったことにする。

 

黒歴史にする。

 

恥部として隠す。

 

そうやって扱われる過去の自分を思うと、

わたしはやっぱり、

結構悲しくなるのですよ・・

 

 

 

もちろん、

 

カウンセリングを受けていたことを、

誰にでも言ってまわりましょう!

 

ということではないです。

 

言いたくないのに、わざわざ言う必要はありません。

 

過去の苦しさを、人前で開示しなければならないわけでもありません。

 

そこは、自分で決めていいところ。

 

けれど、

 

自分の中でまで、なかったことにしなくていいのです。

 

あの頃の自分がいたから、今の自分があります。

 

苦しかったからこそ、見直したものがある。

 

行き詰まったからこそ、手放したものがある。

 

どうにもならなかったからこそ、人に頼ることを覚えた。

 

何度も同じところで転んだからこそ、

自分の癖に気づくことができた。

 

 

それは、

「恥」ではなく、

 

その人の人生の中で、

大切な転換点だったのだと思います。

 

ここを黒歴史扱いしたままだと、

 

結局また、

 

誰かに見せて見栄えのいい自分。

 

一目置かれる自分。

 

すごいと思われる自分。

 

ちゃんとしている自分。

 

そこへ戻っていきやすくなります。

 

 

image

もちろん、

 

「他人優先で潰れていた自分」から、

「自分を優先できる自分」へ変わることは、

とても大きな一歩です。

 

それは本当に、

その人にとって大きな変化!

 

けれど、

そこで止まってしまうこともあります。

 

自分を優先できるようにはなった。

 

でもまだ、

 

他者から認められることが、自分の値打ちを決めている。

 

誰かにすごいと思われることで、ようやく安心できる。

 

誰かに称賛されることで、自分を保てる。

 

その世界からは、抜けきれていない。

 

 

 

すると、

「他人」はまだ、

 

一緒に生きる相手というより、

 

自分の価値を確認するための鏡になってしまう。

 

わたしを見て。

 

わたしを認めて。

 

わたしが変わったことをわかって。

 

わたしをちゃんと称えて。

 

その気持ちが強いままだと、

 

自分の日常への感謝も、

 

人を応援する力も、

 

自然な循環も、

 

なかなか育ちにくいのだと思います。

 

 

 

変わっていない、

と言いたいわけではありません。

 

変わった部分は、確かにある。

 

しかし・・

過去の自分を恥として隠し、

今の自分だけを立派に見せようとするとき

 

まだ、置き去りにされている自分がいる。

 

 

 

まだ、他人からの承認で、自分の値打ちを測っている場所がある。

 

 

そこが見えるから、

わたしは、すげーさみしくなる。

 

 

 

なぜなら、

 

見せたくない自分を隠したまま、立派な自分だけで生きようとすると、

 

心のどこかが、ずっと緊張し続けるからです。

 

本当に変わっていくというのは、

 

いつもキラキラした自分になることではありません。

 

過去の自分を消して、

別人になることでもありません。

 

あの頃の自分もいた、苦しかった自分もいた

 

人の手を借りた自分もいた。

 

ぐちゃぐちゃだった自分もいた。

 

それでも、そこから少しずつ変わってきた。

 

そうやって、自分の歩いてきた道を、

自分の中で回収していくことなのだと思います。

 

 

別に、カウンセリングを受けた過去を、

誇らなくてもいい。

 

でも、恥じなくてもいいと思うんです。

 

 

誰かに見せるための武勇伝にしなくてもいい。

 

でも、なかったことにしなくていいのではないか、と。

 

自分の都合の悪い部分を切り捨てたまま、

 

「わたしは変わりました」

 

「もう大丈夫です」

 

「今のわたしはすごいです」

 

と、どれだけ言っても、

 

心の奥では、

まだ過去の自分が置き去りになっていることがあります。

 

 

 

だから、どうぞ、ご自身のために

黒歴史にしないであげてほしい。

 

あの頃の自分ごと、今の自分の中に連れてきてあげる。

 

そこからまた、人は少しずつ、

自分の人生を自分の手元に戻していけるのだと思います。

 

 

雑記つれづれ。

 

(今日の記事を、さらに掘り下げた内容は、メルマガに書きました。

長くなりすぎたので)

こちらから、ご覧いただけます。

 

▼ メルマガへのご登録はこちらから

 

 

メールマガジンはセッションの優先予約・セミナーメニュー情報をお知らせしています

 

心理カウンセラーの棒読みラジオです

きいてねーーー