我が家が頭を悩ませていたのは、数年に一度回ってくる自治会(町内会)の役員や、地域の住民トラブルの火種となっていた一人の住人であった。
いわゆる老害爺さんの理不尽な要求は常態化し、役員負担の合理的な改革案は「昔からのルールだから変えない」と一蹴されるばかり。
不合理な負担と被害を受け続けることに、私たちは危機感を持っていた。
そんな騒動が一段落し、時が流れたある日。
ふと見ると、あの爺さんの家の雨戸がしばらく閉まったままであることに気づいた。
あれだけピンピンと元気だった人が、色んな家にも来なくなり、どうしたのだろう、と少し、気になっていたのだ。
数日後、回覧板で一枚の書類が回ってきた。
そこには、息子だと名乗る人の手書きで、「しばらく父は不在になるので、町内会を休みます」と、簡潔に書かれていた。
おそらく、長期入院か施設に入ったのだろう。
別居している息子さんの連絡先は、誰も知らないまま、今日も雨戸は閉まったままだ。
理不尽な押し付けや怒鳴り込みは、こうして静かに終わりを告げた。
被害がなくなったとはいえ、あれほど元気だった人が老いるという現実を突きつけられた気分はある。
そう言えば、町内会には、高齢者の見守り(任意)のような活動がある。
しかし、我が家の地域で、実際にそういった活動をしている、あるいはサービスを受けているという話は聞いたことがない。
みなさん、ただ「そっといなくなる」だけ。活動は、実態として機能していないのだ。
もちろん、地域包括と連携したり、独自の取り組みをしている自治体もあるのだろうけれど。
高齢世帯が増え、独居老人も会員のなかにはたくさんいる。
成り手不足で、住民同士の関わりも希薄ななか、高齢社会の現実と、限界を垣間見た気がする。
